因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『うお傳説 立教大学助教授教え子殺人事件』

2011-11-27 | 舞台

転位*ザ・スズナリ開場30周年記念公演 山崎哲(新転位・21)作 関美能留(三条会)演出 公式サイトはこちら 28日まで
 1981年、ザ・スズナリの実質的なこけら落とし公演となった『うお傳説』(転位21公演 山崎哲演出)の舞台が30年の年月を経て、同じスズナリに蘇る。
 休憩をはさんで2時間45分の上演時間におののいたが、後半からは集中してみることができた。題材となった「立教大学助教授教え子殺人事件」のあらましはこちら(Wikipedia)。これを読むかぎり、どろどろの愛憎劇の果ての悲惨な結末にやりきれない思いになるが、『うお傳説』は事件をそのまま舞台化したものではない。

 後半からどうにか集中できたとはいえ、関美能留の演出にはなかなかはいってゆけなかった。作品をじゅうぶんに理解し、堪能したとは言いがたい。
 この日は終演後にトークショーがあった。登壇者は演劇評論家の扇田昭彦氏、劇作家の山崎哲氏、燐光群主宰の坂手洋二氏に関美能留という重厚な顔ぶれ(司会はスズナリ舞台部の野田治彦氏)である。30年前の舞台を知る扇田、山崎氏から坂手氏、関氏に連なる演劇史的な面もあって、この難解な作品を読み解く鍵をいくつか与えられた。

 とくに山崎哲さんの発言のいくつかが非常に興味深かった。
 メモはとったが記憶によるものなので正確ではないが、
 たとえば今回の舞台の印象を問われて、「人間が考えることって、ぜんぶくだらないことがよくわかった」、「どれだけ捨てられるかが問題」、「演劇ってのは怖いなぁと思った」。
 本作執筆のきっかけはよく覚えていらっしゃらないようだが、事件当時1970年代の後半になって、同時代の仲間たちが次々に劇団を解散したり、東京から地方へ移ってゆき、「いったい何が起こったのか」。そして「街のほうがどんどん演劇化していくなかで、舞台で日常をどう作るかがむずかしくなった」。
 そして俳優の身体性について、「俳優のほとんどが、台詞がからだを通らない。物語がからだを通らない」。

 これらは非常におもしろく、重要な問題を含んでいることはわかるが、山崎さんの感覚が実は自分にはピンとこない。かといって「まったくわからん」と流せず、たぶんこれからいろいろな舞台をみるなかで、解答を探ることになるだろう。

 ザ・スズナリはいつ訪れても懐かしく、同時に刺激的で新鮮だ。この劇場に通いつづけられたことは大変な幸福である。トーク終盤で話題になったが、今回『うお傳説』が30年ぶりに蘇ったように、かつてここで上演された作品が、違う演出家や俳優によって新しい顔をみせてくれたら!

 今回の記事は舞台そのものではなく、トークから考えたあれこれとなった。
 すでに自分は心のなかで、「因幡屋のザ・スズナリベスト10」、「再演希望リスト」等々を書き始めている。

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