因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

えうれか旗上げ公演『蝶のやうな私の郷愁』

2014-09-12 | 舞台

*松田正隆(マレビトの会)作 原田直樹(夏色プリズム)演出 公式サイトはこちら 渋谷ルデコ4F 14日まで
 「えうれか」は2014年9月まさに今年の今月、花村雅子が立ちあげた劇ユニットである。旗上げの演目に選ばれたのが『蝶のやうな私の郷愁』。この作品は2006年の夏、ちがう座組みで立てつづけにみたことがあった。最初に文学座若手有志によるユニット「Happy Huniting Ground」版、一週間後に燐光群+グッドフェローズプロデュース版であった。
 当日リーフレットに掲載の花村雅子挨拶文をもとに、この作品のことを改めて整理してみる。初演は1989年立命館大学学生会館小ホールにて時空劇場による上演。その後1991年京都大学吉田食堂にて内田淳子、土田英生の配役で再演、1996年に同じ配役で再再演された。1999年に戯曲が大幅に改訂され、筆者がみた燐光群+グッドフェローズプロデュースであり、スペース雑遊のこけら落としの上演が、改訂版の東京初演であった。そして今回のえうれかの上演は、それ以来の改訂版上演となる由。
 70分の小品ながら、演劇を作る人、それをみる人の心に長く静かに残る作品なのであろう。
 今回は3組のキャストで披露される。筆者はbプロ:西村俊彦と花村雅子の回を観劇した。

 本作は、「作る側みる側りょうほうの心に長く静かに残る作品だ」と書いたが、それと同時に作り手によって色や雰囲気ががらりと変わる作品ではないだろうか。登場する若夫婦の過去や、彼らをめぐる人々との関係など、さまざまな解釈が成り立つ。そのどれも確かなものではなく、想像を掻きたてられはするが、結局ほんとうのことはよくわからない。そこに得も言われぬ魅力がある。

 大型台風が接近していることが、日常に非日常が近づいていることを示す。仕事から帰宅した夫と妻が食卓を囲む。駅前のマンションの話、醤油やソース、豆におからなど、テレビのホームドラマのようなやりとりが続く。そこに台風の影響か、いきなり部屋が停電する。突然の暗闇は、夫婦の心の暗闇を逆に照らしてしまう。これと言って特徴のなさそうな若夫婦の過去に、思わず身を乗り出すように聞き入りたくなる。こんな話、ここでするつもりはなかったのに。夫婦は少なからず動揺しており、「もうやめよう」と言いながらますます深みに入りそうになると、今度は雨漏りのドタバタである。それから夫は・・・。

 70分のあいだに、小さなアパートの部屋で、いま現在と過去と、真実と幻想あるいは妄想が交錯する。サスペンスの要素もあり、つくりようによってはホラーにもなる。演じるほうにとっては実際にものを食べながらの日常的演技から、身体性やせりふ術に幻想的な色合いをもたせる演技までを瞬時にみせねばならない。みるほうにとっても、若夫婦のほほ笑ましい会話を聴きながら、謎めいてもの悲しく切ない幕切れを受けとめるのは、今回で3度めになってもなお、心が痛む。

 花村雅子は本作に並々ならぬ思い入れがある由、また稽古中に母上が亡くなられたこともあって、多くの困難を乗り越えて旗上げ公演が実現したことになる。
「えうれか」について公演チラシやウェブサイトにつぎのように記されている。
「役者の素材をそのままに、物語に生きる人々の営みを淡々と写生する・・・デッサンのように舞台に乗せることを目標としております。
 お客様の個々とのセッションを試みる方と舞台を作り、大げさでも浅はかでもなく、いつわらない役者の状態を生かして舞台という生ものを生き、その結果、時間が経っても切り取った絵が印象としてお客様の心の隅に在ることができるような時間を目指します」

 語り口こそ静かで控えめであるが、舞台成果として非常に高度な目標を掲げておられると思う。目指す舞台の最初の一歩に立ち会えたことを感謝し、新しい劇ユニットの出発を心から祝福したい。

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