因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝 『根岸庵律女-正岡子規の妹-』

2015-12-04 | 舞台

*小幡欣治作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 日本橋/三越劇場 19日まで 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19
 俳人正岡子規と妹・律の物語といえば、自分にとってはNHKドラマ『坂の上の雲』の香川照之と菅野美穂の印象が強烈だ。とくに律と言えば反射的に菅野美穂の怒り顔やら泣き顔が浮かんできて、民藝の舞台を素直に受けとめられるかどうか、観劇を前にして期待と不安が入りまじった。

 本作は98年に初演され、奈良岡朋子が律、母の八重を北林谷栄、子規を伊藤孝雄、弟子の登代が樫山文枝の配役であった。自分は未見である。そして今回の再演では中地美佐子が律、齊藤尊史が子規、登代を桜井明美と、いずれも90年代に入団し、いまや劇団の中堅となった俳優が演じ、奈良岡は母親役で舞台ぜんたいを支える。中地、齊藤、桜井は、ここ数年に上演された木下順二作、丹野郁弓演出の『夏・南方のローマンス』、『白い夜の宴』の印象が強い。劇作家が何を伝えようとしてこの人物を据え、この台詞を記したのか、演出家が俳優にどんな表情を、どんな声を求めているのかを自分の演技の枠だけでなく、先輩から役を引き継ぎ、劇団の気風、伝統を、今度は自分がどう継承していくかを模索しながらも、着実な足取りでキャリアを積み重ねていることが感じられた。

 物語は明治28年(1895年)、子規が健在のころにはじまる。子規は律と八重の献身も虚しく亡くなり、律は正岡家と子規の残した俳句を守り抜こうと奮闘し、苦悩の果てに、また新しく歩みはじめた大正10年(1921年)で終わる。およそ四半世紀にわたる物語である。幕あきでは「おきゃん」といってもいいくらい元気にきびきびと振舞う律が、二度の離婚を経て、養子をとり、その子の将来をめぐって愛情だけでなく、執着やエゴを垣間見せるあたり、中地はひとりの女性が年齢を重ねて変容していくさまを自然に見せていた。

 これはもしかすると大変失礼な言い方になるのかもしれないが、思い切って書いてみる。再演の舞台を見ていて、自分は初演の配役の様相がまったく浮かんでこなかったのである。見ていないのだから当然なのだろうか。いや、それでも後輩の演技が先輩にそっくりだったり、偉大な俳優、演出家に心酔するあまり、自由を奪われているように見えることもあるだろう。自分の民藝観劇歴はまだ短い。本作については今夜がはじめての出会いである。以前の上演と比較して、演出や俳優の演技を考察することはできない。しかしそれが自分にとっては幸運であると思えるのである。そしていつの日か、さらに新しい布陣で再演の運びになり、たとえば中地美佐子が母の八重を演じるという可能性もあるわけで、そのときにどんな感じ方をするのか、いまから楽しみなのである。

 終幕の母の八重の台詞を改めて思い出す。病人には美食をさせ、自分たちは貧しく暮らし、亡くなってからはその俳句を守るために(継承ではないのだな)さまざまな人を巻き込まざるを得なかった。息子が俳句の神さまと呼ばれ、称賛されることは誇りであったにちがいない。しかしその代償もまた尋常ではなかった。そういったことと述懐しつつ、「みんなあんたが悪いんだよ」(松山弁、書きとれませんでした)という最後の台詞の何と複雑で陰影に富んでいることか。
 ふと『放浪記』の終幕を思い出した。疲れて眠りこけた林芙美子に、ライバルであり親友の日向夏子が、「おふみ、あんたちっとも幸せじゃないだね」と声をかける。母八重の台詞、夏子の台詞。劇作家がどのような思いを込めてこの台詞を書いたのか、演出家はどんな声を欲し、俳優はどう応えたか。
 紙に書かれた台詞を肉声で発し、客席に届ける演劇ならではの味わいではなかろうか。

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