*唐十郎作 杉原邦生演出+美術 公式サイトはこちら シアタートラム 2月9日まで 杉原演出の舞台の記事はこちら
脚立や平台、立ち入り禁止コーンなどが雑多に置かれ、劇場裏口あるいは倉庫のように無機質な空間が晒されている。昨年秋の文学座附属研究所の発表会では、観客は「少女仮面」の大看板に出迎えられ、衣裳もメイクもバッチリのボーイにエスコートで「喫茶肉体」に直接入店するという濃厚な趣向で早々と劇世界に引き入れられるのだが、杉原版は、逆に舞台裏を剥きだしにすることで、文学座とは違う「作り物感」を醸し出している。これからどのように始まるのか、不気味な予感すら。
本物の宝塚歌劇団の男役トップスターは、宝塚大劇場の大階段を重さ10キロ以上、全長2メートルにもなる「宝塚羽根」を背に登場する。『少女仮面』の春日野八千代はシアタートラムの通路を進む。背の羽根はいかにも小さいが、威風辺りを払う若村麻由美の迫力が場内を圧倒する。この役のために短く切った髪型、宝塚風のメイクも美しく決まって、発声も堂々と気合十分、新境地を開いた。
当然のことながら、彼女は春日野八千代本人ではなく、春日野を自称する喫茶店経営者である。しかし宝塚歌劇団の男役という荷を背負わされた女性の宿命とその肉体に唐十郎は容赦なく切り込み、内臓を抉り出す。虚と実が交錯し、演劇とそれを作る人々、観客との関係性など、演劇とは何か、俳優とはいかなる存在かという永遠の問いの中に、作り手受け手どちらも迷わせ、ぶつからせる。初演から半世紀を経てなお、鋭利な刃物のようであり、登るほどに頂上の遠ざかる峰のごとく、「これで完成、完璧」というものがない。その一方、徒手空拳の作り手の気合を確と受け止める懐の深さ、温かみもあって、新劇もアングラもなく、唐十郎の劇世界と格闘する俳優の姿は清々しい。
腹話術師と人形の場面に出演俳優の幟が立ったり、本作のメインテーマとも言うべきメリー・ホプキンの「悲しき天使」が、転換時に硬質な曲想にされたり、後半に登場する甘粕大尉の衣裳が白黒モノトーンであったり、若い演出家による唐作品への試みが随所に示されているが、もっと泥臭く生々しい場で、若村麻由美の春日野を観たいという新たな欲が湧いてくるのである。
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