*天野峻脚本・演出・出演 劇団公式サイトはこちら 10日までシアター風姿花伝 16,17日はおうさか学生演劇祭vol.6参加作品として、芸術創造館で上演。
シアター風姿花伝が開館10周年を迎えるにあたり、さまざまなプロジェクトを企画した。そのなかのひとつが「明日のカンパニー」である。劇場の支配人である那須佐代子氏は、「プロを目指す学生劇団のなかで、近い将来頭角をあらわすであろう際立った才能を感じさせるカンパニー」として、「可能な限りのバックアップをするという、若手支援」を行い、「ハイブリットハイジ座は、初代『明日のカンパニー』に選ばれた、言わばエリート集団であります」と絶大な期待が寄せる(当日折り込みの支配人からのメッセージより)。
さらに「彼等は個性的で素朴で可愛く、根拠の無い自信を持った生意気な奴等です。その生意気さが、ただの不遜に感じる若者と、どこか大器に感じさせる若者がおり、彼等は何故かしら後者です。私はそこが好きです」。「私はそこが好きです」のひとことにぬくもりがあって、支配人がハイジ座の若者たちと正面から向き合い、未熟なところも含めてまるごと受けとめ、成長を見守っている様子が伝わってくる。
那須佐代子は青年座に所属、昨年の『リチャード三世』、『THAT FACE その顔』の演技によって、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した俳優であり、多くの劇作家や演出家、俳優とともにたくさんの仕事の経験を積んだベテランだ。その那須がここまで愛し、期待と信頼を寄せるとは、ただごとではない。
彼らを可愛い、生意気と感じるのは那須さん個人の感覚であるにしても、大器であると感じるのはベテラン演劇人の経験値に基づいた確かな勘ではなかろうか。
何を舞台にのせるか、どのように表現するかはルールがあるわけではなく、自由である。好きなことを好きなようにやってかまわないのだ。
「プロを目指す学生劇団」を支援する「明日のカンパニー」というシアター風姿花伝の指針を何度も読み返し、歌舞伎や文楽などの伝統芸能でなく、いわゆる現代演劇においてアマチュアとプロとのちがいはどこにあるのかを改めて考える。
伝統芸能における芸は技術的なものだけではなく、演劇を生業として生きる者に必要な精神的支柱を含めたものである。確実に受け継いでゆかねばならないという絶対的な使命感にもとづく。個人の生活や人生にとどまらず、その芸能の世界、ひいてはこの国の文化を背負って立つくらいの心意気なのである。
昨年暮れからあいついで亡くなった中村勘三郎、また市川團十郎のこと、残された息子たちのことを思い起こす。父の芸と精神を受け継ぎ、自分の子どもたちに伝える。逃げ場のない義務と責任の重さが、彼らの舞台をいよいよ輝かせるのである。明確なお手本があり、目標がある者の強さであろう。
何をもってプロの劇団、プロの俳優というのか。
アマチュアの発表会ではなく、有料のチケットを販売すること。身内や知りあいだけでない、まったくの、いわゆる「ふりの客」を呼べること。出演俳優やスタッフに、じゅうぶんとは言えないまでもギャランティを支払い、彼らがボランティアや趣味の演劇活動ではない、仕事として演劇をつくっているのだと胸を張って言えること。
シアター風姿花伝がハイブリットハイジ座のどのようなところに魅力を感じ、支援を決めたのか。残念ながら舞台からはっきりした何かを感じとるにはいたらなかった。今日この段階において舞台の具体的なことは書かずに終わる。「この劇団のここをみてほしい」という劇場の願いをきちんと受けとめられなかったこと、そこにみずからの課題を見出すものである。
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