因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

月刊「根本宗子」第7号『今、出来る、精一杯。』

2013-03-10 | 舞台

*根本宗子作・演出 公式サイトはこちら 下北沢駅前劇場 12日まで
 「根本宗子」は、「ねもとしゅうこ」と読む。いぜんから気になっていたのになかなか足を運べなかった。みずからの名前を劇団名にした主宰の根本宗子は20代なかば、脚本、演出、出演もこなし、他劇団へ書きおろしや客演も多い。「月刊」の名称からは文芸誌や雑誌など、文字メディアのイメージがある。名前のとおり月刊ではないが、2009年夏の旗揚げ、いや創刊号からコンスタントに活動をつづけている。HPに掲載された過去公演のチラシはどれも見た記憶があるもので、第7号にてようやく初見になったことが悔やまれる。

 見はじめてすぐ、これまでの舞台を見のがしたことがますます悔しくなってきた。いわゆる小劇場の公演で2時間を越える舞台はめずらしいが、今回は2時間10分。意欲作である。舞台は左右ふたつの別空間に分けられている。上手はアパートの一室、下手はデパートの食品売り場の事務室兼休憩スペースである。

 

 冒頭上手のアパートで、車椅子の女性とその恋人らしき男性が食事をはじめようとする場面からはじまる。あれやこれやで男性はなかなか箸を取ろうとしない。このシーンが実に嫌になるほど細かく丁寧に、しかしちょっとどうかというほど執拗につづく。このふたりがいっしょに登場するのはこのシーンだけである。非常に重要な冒頭場面にこれを持ってきたのはなぜか、あとの場面とどうつながっているのかが、最終的にわかるのだが、それが観客に「ああ、そうか」と伝わるのはほんとうに最後の最後である。そこに至るまでの2時間、冒頭の男女のことは正直ほとんど忘れていたくらいだ。

 自分を傷つけた相手を決して許さず、執拗に謝罪とつぐないを要求する。自分は弱いのだからと相手に頼りきり、相手が支えをほしがってもそれに応えてやれない。疲れ果てた相手が自分から離れると憎しみをむき出しにする。

 こういった男女が何人も登場し、これでもかというほどすさまじい人間模様が繰り広げられる130分だ。「なぜわかってくれないの?」「どうして何も言ってくれないの?」といった「くれない」の連発は、「ぐちを聞いてあげた」「親切にしてあげた」の「あげた」の押しつけの裏返しである。

 自意識過剰と自己憐憫、他者への過剰な依存と期待などを描いた演劇は枚挙にいとまがなく、本作もそれのひとつかと身構えたのだが、12人の人々はあまたある作品の人々と似たような面を持ちながら、まさに「根本宗子」だけの劇世界を構築すべく、ある女性はエゴをむき出しに、ある男性はひたすら卑屈にわが身をおとしめる。もううんざりするほどみていると斜に構えていたら、「根本宗子」の舞台は観客の襟首をつかんで離さない。たじろぎながら舞台に釘づけになった。

 依存心が強く、弱々しい相手をずっと献身的に支えていた人が脆さをみせ、「これまであなたに尽くしてきた。今日くらいは助けて」と迫るとき、両者の関係はあっさりと崩壊する。人間の弱い強い、明るい暗い、普通異常などはそうかんたんに決めつけられることではなく、弱い人のほうがよほど図太く、強い人が虚勢のかたまりだったりする。自分のことを弱さ強さ含めてよく知り、他者との距離を適切に持てる人がトータルで強く、大人であると思うのだが。

 いま上手のアパートに住んでいる男女は一気に暗闇の世界へ転げ落ち、かつて上手のアパートに住んでいた車椅子の女性は、下手のスペースに割り込んでくることで救われた兆しがみえる。

 人々はタイトルのとおり、いま自分のことだけで精いっぱいだが、本作に自分とその周辺のみのごく近景を描いたという印象はない。さきの見通しのない若者たちの生態を鋭く切りとる一方で、ふたつのスペースの外に広がっているいまの社会を感じさせる。

 根本宗子は本作を上演するにあたり、これまで以上に苦悩したとのことだ。それでも演劇が好きだ、演劇をつくる。その気持ちがときに暴力的といっていいほどぶつかってくる。しかし独りよがりの暴走や粗けずりのあやうさはなく、プロらしい周到な劇作、綿密な稽古があったことを感じさせる。難をいえば、タイトルがあまりに「ベタ」であること、クライマックスにおいて人物がまさにこれがメッセージです風に滔滔と台詞を語るところであろうか。

 興味深かったのは、12人の登場人物すべてにきちんと姓と名がつけられていることだ。劇中姓だけ、あるいは名だけでしか呼ばれない人がいるにも関わらず、である。作者は人々を大切に思っているのだろう。車椅子の女性の名は「未来」、彼女が執拗に責め、同時に依存する男性の名は「優一」である。彼らはまた名を替え、すがたを替えて「根本宗子」のこれからの劇世界で生きつづけるのではないかと想像している。

 

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