*桑原茂夫原作(『西瓜とゲートル オノレを失った男とオノレをつらぬいた女』から)・脚本 天願大介演出 月船さらら、外波山文明出演 山崎ハコ特別出演 四家卯大音楽 SPACE雑遊 ギャラリーB1 3月2日~3日
母の遺品のなかから出てきた小さな手帳に記されていたのは、夫が出征したあとの子どもたちと八百屋の店を守り抜いた戦中戦後の日々の記録だった。それを丹念に読み込み、当時の世相や用語、出来事の背景などについて注釈を加えた原作は、市井の人々の暮らしや心の様相を活写する素晴らしいドキュメンタリーであり、新たなる戦前とささやかれる流れに断固抵抗する作者の気概あふれる一冊である。2021年秋の第1弾を見逃してしまったので、今回は是非にと足を運んだ。
第一部は母(月船さらら)が、自分の手記を読むかたちで進行する。意外や白ブラウスともんぺが似合う月船が、夫の生還を信じながら、6人もの子どもを生かし、日々食べさせ、八百屋の店を営む苦労を切々と語る。舞台下手に味わいのある文字の書かれた「めくり」があり(めくり文字/東學)、場面ごとに良きタイミングでめくられてゆく(進行/甲斐聖子 これは大変難しい仕事であると思う)。
特別出演の山崎ハコが登場すると、場内の空気は一気に濃密、濃厚になった。圧巻は最後の「大砲としゃれこうべ」である。これまで聴いていた浜田真理子の静かで淡々とした歌唱に比べると力強く、非常に明るい。しかしその中に、母親に会えないまま戦死した兵士はもちろん、人々の怒りや悲しみがマグマのように熱く伝わってくる。こういう歌でもあったのか!山崎のギターに四家のチェロが加わると、まろやかで温かく、それでいて重厚な響きを醸し出すことに驚いた。朗読劇の劇中に歌のライブという構成に当初は少し違和感を覚えたが、山崎の歌に圧倒され、しみじみと味わいながら、次の一幕をリラックスして待つことができた。
オトーサン(外波山文明)は生還したものの、以前の颯爽としたオトーサンではなくなっていた。ここから一家の戦後が、いや、まだ終わらない戦争の日々が始まったのだ。当日リーフレットに「語り手」と記されている桑原茂夫自身がステージに近づき、父と語り合う。少々ぎくしゃくしたところは確かにある。しかし息子が父に聞いてみたかったこと、話せなかったことを舞台というかたちで描き、現実にはできなかったことが舞台で叶うことに幸せを覚える。
題名の『西瓜とゲートル』の「西瓜」、「ゲートル」にはそれぞれオトーサンに対する作者の強烈な思い出があり、それをもっと活かすことや、原作の文章の軽妙なリズムや絶妙な筆づかいが俳優の台詞や語りに転化される舞台に発展する可能性があるのではないか。例えば、母の妹が一家の窮状を知って訪ねてくる場面で、「シゲボウ(作者のこと)はまた、とんでもないときに生まれたものねえ。ペケだわ」「この子はペケって呼ぶわ。だいじょうぶよ、姉さん、この子は大丈夫」「ペケって言ったり、大丈夫って言ったり」「空襲から逃げるときはわたしがペケをおぶるわ」というやり取りの何というおもしろさと味わい深さ。明日生きている保証はないくらい切羽詰まっている中で交わされるユーモラスな会話から滲む生活実感を、ぜひ俳優の声で聴いてみたい。
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