*金哲義(May)作・演出 (1,2) 公式サイトはこちら 下北沢「劇」小劇場 6日まで
先月末から金哲義による劇団Mayの舞台は、自分にとってにわかに身近なものとなった。短期間に同じ劇作家の作品を3作続けてみる経験は珍しい。「在日」「民族」という濃厚なカラーを全面に出しながらパターンに陥らず、生き生きと力強い。
本作は2009年1月新宿タイニイアリスで初演、2010年11月大阪で再演され、今回下北沢でみたび上演の運びになったとのこと。つい先週までアリスフェスティバルの舞台をこなした直後の公演だ。心身ともに大変な労苦があったのではないかと想像するが、舞台からは疲れや緩みは感じられない。本作が劇団にとって大切な財産演目であること、Mayが立てつづけの公演に耐える体力を持っていることがわかる。
大阪の朝鮮学校の運動会。高校生の息子の応援にやってきた家族や親戚たちが校庭の一角に陣取り、旺盛に飲み食いをしながら競技の応援はもちろん、学校の先生を酒盛りに巻き込んだり職員のリレーにアボジが乱入したり、果ては運動会そっちのけで法事のやり方や朝鮮人としての生き方をめぐって大喧嘩を繰り広げる。ひっきりなしに食べながら飲みながらしゃべりながらの60分だ。舞台の勢いに、みるほうは圧倒されるばかり。
演出家コンクールでこれまでみた3本は、いずれも舞台作品として特殊な設定、趣向が施されているが、それに比べると『晴天長短』は日常の時間をベタに描いたものである。運動会には4世代の家族が集っていて、仲良くにぎやかにお弁当を広げるが、その会話のなかに朝鮮学校は学費が高くて子どもを入れるのはむずかしいことや、運動会の朝鮮語のアナウンスが「ほとんどわからない」という世代があって、自分たちの祖国のことばや歴史を学ぶ必然性が、ひとつの家族の中で異なることなどが示される。家族たちの諍いの根は深く、いったいこの家族は仲がいいのか悪いのか。ほとんどつかみあいの喧嘩になろうとしたとき、息子がリレーでトップを走りはじめた。とたんに皆が爆発しそうな笑顔になり、一心に応援をはじめる。
終演後、演出家の金哲義を囲んでコンクールの審査員によるトークが行われ、東京乾電池の柄本明氏が、「今の日本にない家族の姿にうらやましさを感じたが、舞台で描かれていることの、その前の問題を知りたい」という感想を述べていた。自分の記憶も明確ではなく、柄本氏のことばを自分が的確に理解しているかどうかは怪しいが、「その前の問題」とは、目の前の舞台で大喧嘩している家族たちの、それまでの生き方や背景ということだろうか。また柄本氏は、それらを戯曲のなかに巧みに折り込み、観客に知らしめることを求めているのではないと思う。
柄本さんの発言を自分に照らして考えてみよう。自分は、これほど饒舌にしゃべりつづける家族たちであるにも関わらず、ひとりひとりの心の奥底の声をもっと聞きたくなった。たとえば祖母とふたりきりになったときに、孫娘のひとりが「今日、ちっとも楽しくない」という場面を思い出す。祖母は歩くのがやっとで耳もほとんど聞こえてないらしい。だから本音が言えるのだろう。孫娘はここで過剰な演技はせず、わりあいさっぱりとこの台詞を言った。だから余計に知りたくなるのである。運動会の1日はどうにか終わったが、この家族の問題はほとんど解決せず、しかし生活はずっと続いていくのだ。
本日で4本の作品をすべてみたので、「観客賞」の投票をして会場をあとにした。公開審査は明日の夜である。
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