*島林愛作・演出 こまばアゴラ劇場 公式サイトはこちら 4月2日まで 記事には少々ネタばれあります。
桜は不思議な花だ。明るい青空のもとで見上げると実に晴れやかで心が浮き立つが、曇り空のときは少しもの悲しく感じられる。そして夜の闇に浮かぶ桜は妖気を漂わせて狂おしく、何かが宿っているかのようである。春の一夜、「見えない桜」をみてきた。今回が初めての蜻蛉玉の舞台は、そんな印象である。
舞台中央奥に桜の木を模したオブジェが置かれている。白い布を巻きつけてあるのだろうか、枝には箱がいくつも吊り下げられている。浩輔(シトミマモル)と美雨(神林裕美)の二人が現れて会話が始まる。声の大きさも話し方も普通の日常会話である。二人は若いというより幼さが感じられるくらいだが、既に結婚しているらしい。結婚前に浩輔の東北の実家を初めて訪れたときの場面になり、また現在の二人の会話に戻る。家族は東北弁で盛大に話すのだが、なぜか浩輔はときどき関西弁になり、美雨が「関西弁だいっきらい。浩輔のお母さんと話してるといっつもおこられてる気がする」と言い出したり、よくわからなくなる。美雨の中学時代の同級生との再会(彼は男の恋人といっしょだった)し、いっしょにカレー屋にいく場面に続き、やや唐突にこの二人が離婚届を出したことがわかる。一瞬、えっ嘘と思うが、そうすると冒頭に美雨の靴紐が解けているのを浩輔がしゃがんで結んでやる場面の美雨の反応が理解できる。浩輔はずっと優しく、美雨も彼が好きであることがわかる。二人は憎み合ってなどいないのだ。最初から別れるつもりで結婚する人はいないだろうし、なぜ別れるのかはその二人にしかわからない。いや当事者にすらわからないのかもしれない。浩輔と美雨もはっきりした理由が描かれないまま別れを選択したことが示される。
美雨の心から抜け出た存在を示す羊(熊埜御堂彩)、女を背負った男が出てくる場面は坂口安吾の『桜の森の満開の下』だろうか。過去のことやその人の心の闇が少しずつ、少しだけ描かれる。劇中音響効果はまったくなかったと記憶する。井の頭線の電車の音がいつもよりもよく聞こえ、それはこの舞台の静けさを示すものである。中央のオブジェに吊り下げられた箱に明かりが灯ると、息を呑むほど美しい。オブジェだけでなく今回の舞台の照明効果は素晴らしく、ほとんど見えないほどの暗さのなかで浩輔が母親と交わる場面は、二人とも着衣のままなのに生々しく、それでいて幻想的なまでに美しい。明るくすることと同時に、暗くすることの効果である。
若い二人が結婚するまでと、別々の生活をはじめるまでの心の風景。言ってしまえばそれだけの話である。劇作家の実体験が濃厚に描かれているものではなさそうだし、心の迷いや悩みをそのまま描いたのではなく、距離をおいて淡々と静かにみつめる透明さが感じられる。終演後これほど劇場を立ち去りがたい気持ちになることは久々だった。静かな駒場の町から電車に乗り、渋谷に出るのが惜しい。できればこのままぼんやり佇んでいたい。井の頭線のホームから桜が見えた。満開の夜桜。桜は何も起こらなかったかのように毎年咲いて散っていく。人が生まれて誰かと出会い、交わって別れていく。それは奇跡のような喜びをもたらすが、同時に癒しがたい悲しみも生んでしまうのである。
桜は不思議な花だ。明るい青空のもとで見上げると実に晴れやかで心が浮き立つが、曇り空のときは少しもの悲しく感じられる。そして夜の闇に浮かぶ桜は妖気を漂わせて狂おしく、何かが宿っているかのようである。春の一夜、「見えない桜」をみてきた。今回が初めての蜻蛉玉の舞台は、そんな印象である。
舞台中央奥に桜の木を模したオブジェが置かれている。白い布を巻きつけてあるのだろうか、枝には箱がいくつも吊り下げられている。浩輔(シトミマモル)と美雨(神林裕美)の二人が現れて会話が始まる。声の大きさも話し方も普通の日常会話である。二人は若いというより幼さが感じられるくらいだが、既に結婚しているらしい。結婚前に浩輔の東北の実家を初めて訪れたときの場面になり、また現在の二人の会話に戻る。家族は東北弁で盛大に話すのだが、なぜか浩輔はときどき関西弁になり、美雨が「関西弁だいっきらい。浩輔のお母さんと話してるといっつもおこられてる気がする」と言い出したり、よくわからなくなる。美雨の中学時代の同級生との再会(彼は男の恋人といっしょだった)し、いっしょにカレー屋にいく場面に続き、やや唐突にこの二人が離婚届を出したことがわかる。一瞬、えっ嘘と思うが、そうすると冒頭に美雨の靴紐が解けているのを浩輔がしゃがんで結んでやる場面の美雨の反応が理解できる。浩輔はずっと優しく、美雨も彼が好きであることがわかる。二人は憎み合ってなどいないのだ。最初から別れるつもりで結婚する人はいないだろうし、なぜ別れるのかはその二人にしかわからない。いや当事者にすらわからないのかもしれない。浩輔と美雨もはっきりした理由が描かれないまま別れを選択したことが示される。
美雨の心から抜け出た存在を示す羊(熊埜御堂彩)、女を背負った男が出てくる場面は坂口安吾の『桜の森の満開の下』だろうか。過去のことやその人の心の闇が少しずつ、少しだけ描かれる。劇中音響効果はまったくなかったと記憶する。井の頭線の電車の音がいつもよりもよく聞こえ、それはこの舞台の静けさを示すものである。中央のオブジェに吊り下げられた箱に明かりが灯ると、息を呑むほど美しい。オブジェだけでなく今回の舞台の照明効果は素晴らしく、ほとんど見えないほどの暗さのなかで浩輔が母親と交わる場面は、二人とも着衣のままなのに生々しく、それでいて幻想的なまでに美しい。明るくすることと同時に、暗くすることの効果である。
若い二人が結婚するまでと、別々の生活をはじめるまでの心の風景。言ってしまえばそれだけの話である。劇作家の実体験が濃厚に描かれているものではなさそうだし、心の迷いや悩みをそのまま描いたのではなく、距離をおいて淡々と静かにみつめる透明さが感じられる。終演後これほど劇場を立ち去りがたい気持ちになることは久々だった。静かな駒場の町から電車に乗り、渋谷に出るのが惜しい。できればこのままぼんやり佇んでいたい。井の頭線のホームから桜が見えた。満開の夜桜。桜は何も起こらなかったかのように毎年咲いて散っていく。人が生まれて誰かと出会い、交わって別れていく。それは奇跡のような喜びをもたらすが、同時に癒しがたい悲しみも生んでしまうのである。
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