*大橋秀和脚本・演出 公式サイトはこちら 王子小劇場 25日まで (1,2,3)90分休憩なし
昨年秋の『星読み騙り』で劇作家として転換の気配を感じさせた大橋秀和の最新作は、心の病を扱った近未来の物語である。物語の展開、登場人物の配置や造形、舞台美術など、さまざまな面で劇作家と劇団が新境地に向かっていることの試行錯誤が感じられる舞台である。
脳科学の心理学の進歩により、心の病がこの世から消えようとしている。
主人公緒方(園田裕樹/はらぺこペンギン!)は心に深い傷を負った過去をもつが前述の技術革新によって回復し、いまでは同じように苦しむ人を救う立場にいる。彼が働くクリニックに助けをもとめる人やその家族、職員や取材のライターなど10人が織りなす「もしかしたら訪れるかもしれない未来」の物語である。
中央の演技スペースを客席がはさむ対面式、俳優は一度も舞台裏に退場せず、演技エリア両サイドに並べられた椅子に座って物語を見守るというつくりだ。劇場の壁、演技エリアの床は青く、そこに白で抽象画のようなものが描かれている。床には椅子やクッションがいくつか置かれ、クリニックになったり、ドクターやクライアントの自宅など、場面に応じてさまざまな場所に変化する。
出演俳優のなかでは年齢、舞台キャリアともに兄貴分的な存在と思われる宮崎雄真と林剛央の存在が、前作『星読み騙り』に増して目を引く。
宮崎が演じる二階堂は園田演じる緒方の先輩ドクターで、かつて彼のカウンセリングをしていたこともある。緒方を客観的な視点でとらえている人物でもあり、そこにはすべてを理解する優しさと同時に、業務遂行者としての冷徹な面をあわせ持つ。
林の演じる向井はクリニックの経営に携わる人物らしい。広報誌のライター竹内(ヒザイミズキ/時間堂)への対応は、はじめこそソフトでものわかりよい印象だが、竹内がクリニックの方針に反するやいなや、物腰はやわらかいままに刺を含んだ陰湿な面をみせる。
おそらく二階堂と向井は、人物のなかでは誰よりも大人で精神的に安定している分、失くしてしまったものも多いのではないか。それは社会人として(あるいは企業人として)生き残るために意識して捨てたもの、いつのまにか消えていたものもある。再び心を病んでしまった緒方と彼らのどちらが「まとも」なのかは判断がつかない。
いずれにしても宮崎、林の人物造形はさりげないなかに、彼らのふるまいによって相手の心象が変わったり、観客が舞台をちがう面からみつめるようになるきっかけを生んだりする。出番や台詞は少ないながら非常に重要な役割を担っており、作品を的確に理解し、過不足なく役を演じている点でみごとであった。
初日を迎えたばかりなので、開演前のある趣向についての詳細は記さない。好みがわかれるものであろうし、客席の反応によって今後変化する可能性もある。筆者としてはいささか気恥ずかしい。開演前の客席は、日常と虚構のあいだを漂う微妙な時空間である。気持ちよく舞台にいざなわれればラッキーだが、向かい側の席におそらくここで一気に引いて冷めてしまったと思われる観客を目撃してしまったこともあり、作り手が期待するほどの効果があったかどうかは疑問である。
試行錯誤はあくまで創作の段階のことであり、観客を劇場に入れて行う公演はともかくも「完成品」をみせるものであろう。しかしながらガラス玉遊戯の舞台は、作り手が迷いのなかにあることや、はずしてしまったと思われることなどが舞台に混在していても、それらを含めて劇世界を受け入れてしまわせる(うまく書けない)ところがある。それは強引ではなく、甘えでもなく、いまの自分たちの舞台を届けるという姿勢が感じられるためだ。劇作家のお人柄なのか、彼を信じて強い共感をもってともに活動する仲間の存在もあり、多くの観客に好感をもって伝わるであろう。
しかしながら毎日毎晩数えきれないほどの舞台があふれる東京において、ほかをやめてぜひガラス玉の舞台をみたいと選択するアクションを起こさせる作品として認知されるには、あとひといき、何かが必要だ。
人の心のうちを薬や手術などでコントロールすることがどこまで可能か、またそれは正しいことなのか、自分のほんとうの気持ちは何なのか、それと向き合わないで幸せと言えるのかなどなど、本作が投げかける問いは溢れるようにあり、ひとつの面にある視点をもって切り込めば、真の魂の救済は可能か、それは医術か宗教かという倫理的な問いかけに発展する。
この日のアフタートークゲストは時間堂主宰の黒澤世莉氏で、この点に対して非常に鋭い問いかけを発しておられた。
また彼らの多くは職場からの経済的援助を受け、なかば会社命令によって治療を受けている。つまり早くストレスを解消してしっかり働け、それができなければ解雇だという企業原理のなかにいるのだ。心を病むのはその人自身にも原因はあるが、そうしてしまった職場、ひいては社会ぜんたいの病理は放置されているという社会問題もはらむ。
何より本作があそこで幕を閉じることについては大いに疑問があり、「もっと書けたのでは、いやぜひとも書いてほしい」と歯がゆいほど期待する気持ちを抑えられないのである。
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