*W・シェイクスピア原作 山本タカ脚本・演出 木皮成振付 公式サイトはこちら 下北沢小劇場「楽園」 18日まで(1,2,3,4)
先週一心寺シアター倶楽で開催された2012おうさか学生演劇祭vol.5で幕を開け、優秀劇団賞、助演女優賞、スタッフワーク賞、おどるお肉賞?を受賞しての凱旋公演となった。初日の今夜は満席の盛況だ。「楽園」は太い柱があることや客席が2面であることなど、使う方もみる方もむずかしさがある。この空間をどう活かすのか。
本公演はシェイクスピアの『夏の夜の夢』をベースに、1977年に起こったニューヨーク大停電と妖しげなクラブと現代の若者たちが、狂気と愛欲に満ちた乱痴気騒ぎを巻き起こす、というのが公演チラシやwebサイトから得た前情報であった。
しかし当日リーフレット掲載の主宰山本タカの挨拶文には思いもよらないことが記されていたのである。
東日本大震災は「国難」であると言われる。一刻も早い復旧を急ぎながら、同時に何十年の長いレベルで復興を考えねばならない複雑で重層的な災禍なのだ。
しかしその国難に対して、自分自身がどれほど実感を持っているか。被災地を支援すること、被災された方々のことを忘れず、祈りつづけることが大切であるが、「当事者感覚」には厳然とした違いがあり、ありったけの想像力や配慮をもってしても、同じ体験をせずして共有、共感することはむずかしいと思われる。
このうしろめたさ、居心地の悪さ。できればそれらから逃れたい、考えずにいたい。この鬱屈したもろもろを、2組の恋人たちの追いかけっこを自分たち夫婦の喧嘩に利用する妖精の王、いたずらな妖精、職人たちが繰り広げる、『夏の夜の夢』の世界にぶつけたもの。それがコエキモの『A MIDSUMMER NIGHT`S DREAM』である。まさか『夏の夜の夢』が、これまでいろいろな演出や座組みでみた『夏夢』がこういう切り口になるとは予想も準備もしていなかった。
劇団の主要メンバーに加え、ダンサー5名が加わった舞台は、「楽園」をぶっ壊しそうなほどエネルギーに満ちあふれている。「楽園」の小さなスペースを、通路も含めて自在に使いこなしており、広々とした一心寺シアター倶楽と今回の「楽園」ではずいぶん勝手も違ったろうに、空間をしっかりと手の内にしている点は実に鮮やかであった。
いっぽうで大音量の音楽や声を張り上げる演技が延々と続く印象は否めず、俳優の演技の大きさにも変化を加える配慮が必要だったのではないか。また現代の家族の場面の描写、とくに会話の内容がいささか凡庸であることや、1977年のニューヨーク大停電との効果がいまひとつみえにくいことなど、疑問点も少なくない。
言いかえれば作者の伝えたいことがもっと鋭く、生き生きと描かれる舞台になり得る可能性が大いにあるということだ。
昨年の『被告人ハムレット』において、山本タカは『ハムレット』に対する独自の視点を示した。よそへ目をやらず、『ハムレット』に集中した舞台であった。今回は『夏の夜の夢』をベースに、3.11をテーマにするという複雑な作劇に取り組んだ。それも被災地や被災者が登場しない3.11である。本作は3.11だけでなく、昨年以降それをテーマに生まれた数々の舞台と、それに対する評価や批評への、山本タカとコエキモの挑戦である。
今回の舞台を観て、震災に対するスタンスはこうした反応への1つの返答なのかもしれないと感じました。
前置きもなく、とりあえずこれだけ、失礼します。
当ぶろぐへのお越し、ならびにコメントをありがとうございました。
返信があまりに遅くなりましてすみません。
『日本の問題ver.311』の最終公演で俳優のひとりが降板したことについての報告が正式に発表されました。
http://nipponnomondai.net/ver311/kouban.html
日本の問題という大きな課題に取り組んだプロジェクトで起こった内部の問題の顛末です。
彼らの関心がひたすら自分たちの内側に向かったためなのか、逆に舞台を楽しみにしているお客さん、被災地の方々はじめ、外側にも強く向かったためなのか。
しのみやさまのコメントを改めて考えました。