因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場『パーマ屋スミレ』

2012-03-17 | 舞台

*鄭義信作・演出(1,2)。公式サイトはこちら 新国立劇場小劇場 25日まで
 舞台美術や開演前からのにぎやかな歌や演奏、前説はじめ、姉妹と彼女たちをめぐる男たちという登場人物の関係性や話の流れなど、前作『焼肉ドラゴン』と共通部分があまりに多いことを、「あの世界にまた会える」と胸を躍らせるか、「既視感がある」とみるか、開場のアナウンスが九州ことばで「ご町内の皆さま」と呼びかける念の入れようを、「これから舞台をみようと心が弾む」と喜べるか、「やりすぎだ」「押しつけがましい」と引くか。それはすべて人それぞれ。リンクの過去記事をお読みいただければ一目瞭然、自分は後者である。
 5日に開幕して早々と、それも非常に好意的な新聞劇評が掲載されており、一種の安心感はあるものの、これまでの相性の悪さやそのもやもやをいまだに言語化できていないもどかしさがあって、素直になれないのだ。
 『焼肉ドラゴン』を楽しめたなら、本作はそれにも増して、いよいよ胸をうつ舞台として記憶に深く残るだろう。その反対の者はどうすればよいか。『焼肉~』の違和感から逃げないで、同時に早くも絶賛されていることに流されず、あまりひねくれないで『パーマ屋スミレ』をみよう。
 それが観劇前の自分の課題であった。

 休憩をはさんで2時間45分は、あっというまに過ぎた。集中して楽しむことができたのだ。
 いちばんの理由は、俳優全員が渾身の熱演をみせていることだ。主演の南果歩はじめ炭鉱事故で一酸化炭素中毒を患う夫役の松重豊、兄の妻を愛しながら北へ帰る弟を演じた石橋徹郎(文学座)など、それぞれの経験値だけでなく、劇作家・演出家を信頼し、総力をあげてよい舞台を作ろうという心意気がひしひしと感じられる。
 いっぽうで、いささか演出が過剰で執拗だと感じるところは少なからずある。ここまで声を張り上げなくても、これほどの大立ち回りに加え、客席にビニールシートを配るほど水しぶきをあげなくても。当時の在日コリアンのコミュニケーションが実際にこの通りだったのかどうかはわからないが、もう少し抑制した作りも可能ではないか。また寝たきりと見えたが、結構足腰もことばもしっかりしている父親の立ち位置が最終的に曖昧であったことなど、疑問点も多い。
 ここぞという場面で流れる音楽はどっぷりと溺れそうになるほど情緒的であり、そこに雪(桜だったか)が降りしきればもう勘弁してくださいと言うほかはないのだなぁ。

 タイトルの『パーマ屋スミレ』は、次女須美(南果歩)の台詞で劇中に2回でてくる。最初はわりあいすぐ、将来の夢を明るく語る場面である。こんなに早い場面で、こうもあっさりと話されてよいのかと心配になるほどであった。やがて炭鉱事故に巻き込まれてからの数年間、彼女たちの人生は悲惨を極める。親族や友人たちが次々に去ってゆき、残された夫とふたりで「いつかパーマ屋を開く。店の名前はうちの名前をとって、パーマ屋スミレ」(台詞は記憶によるもの)と語られるとき、それがもうとうに実現不可能な夢であり、それだけにいっそう悲しく響く。「パーマ屋スミレ」は彼女たちの希望であり、桃源郷なのだ。

 カーテンコールの俳優さんたちの晴れやかで満ち足りた表情を思い出す。それぞれに歩いてきた道、所属する劇団や活動の方向性が異なるもの同士が心を合わせ、丹精込めて作り上げた達成感に満ちている。そんな舞台に出演できたことを、我がことのように晴れがましく、しみじみと幸せな心持ちになって、結局どうだったのかわけがわからない『パーマ屋スミレ』なのであった。

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