因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ハイリンド第3回公演『法王庁の避妊法』

2007-01-07 | 舞台
*飯島早苗、鈴木裕美作 春芳演出 下北沢「劇」小劇場 14日まで 公式サイトはこちら。
 中学時代の恩師からずっと以前にいただいた年賀状に、こんな詩が書かれていた。「花は美しい。月も美しい。まじめさはもっと美しい」。今回のハイリンドの舞台をみて、この詩を思い出した。

 婦人の排卵の時期という謎に取り組むことで、 「オギノ式」と呼ばれる避妊法が誕生するまでの悲喜こもごもがぎっしり詰まった2時間15分。産婦人科医荻野久作と妻とめの評伝にとどまらず、男であること、女であること、子どもを産む人、産まない人、多くの人の心にさまざまなことを考えさせる作品だ。子どもを産むというのは本来極めて個人的なことであるが、人が人として生きていく上で「関係ない」と避けては通れない問題であることが伝わってくる。ある立場の人が善かれと思ってしたことが、別の立場の人にとっては辛いことだったり、非常に奥が深く、絶対的な正解がない。それこそ神の領域であり、しかしそこに人生のすべてをかけて情熱を注ぎ込んだ人々の姿は、涙が出るほど美しい。台詞の音量や演技など、もう少し抑制したほうがいいかな?と思ったが、それでもやはり。

 今回の観劇で、ハイリンドに対する信頼がさらに強くなったのだが、作品によってこれほど自在に変われる俳優さんたちは珍しいのではないかと思う。俳優自身が持つ個性があるから、何度も見ていれば自然に「当たり役、はまり役」ができてくる。それは俳優としては善し悪し両面だ。「こんな役をやらせたら天下一品」の反面、「いつもこんな役なのね」ともなるし、さらに「何を演じても○○」ということにもなり得る。ハイリンドにはそれがない。戯曲を信頼し、大切にする姿勢がそうさせるのだろうか。荻野医師や妻のとめの人柄が、演じる俳優に溶け込んだかのようであった。

 誠実であること、一生懸命であること、まじめであることは美しい。心からそう思える舞台に出会えた。
 次回公演で、いよいよ新宿のシアタートップスに進出するとのこと。ハイリンドならきっと、ハイリンドならもっと。

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