黒澤世莉(時間堂)の『月並みなはなし』を中屋敷法仁(柿喰う客)が演出し、もう1本は モーパッサンの原作を谷賢一(DULL-COLORED POP)が脚色し、黒澤世莉が演出した『ソヴァージュばあさん』。公式サイトはこちら 新宿シアターミラクル 公演は30日まで。『ソヴァージュばあさん』から受け取ったものについて書き記したい。
普仏戦争の末期、フランスの小さな村にプロシア軍が進駐し、3人の兵隊が「ソヴァージュばあさん」と呼ばれる老婆のうちに寝泊まりをすることになる。兵隊のうちの1人はフランス語が話せるが、あとの2人はほとんど身振り手振りのとんちんかんなやりとりになる。ばあさんの息子は戦争に行ったまま行方知れずだ。言葉によるコミュニケーションが取れない敵国の兵士と、彼らに占領された老婆の奇妙な共同生活の様子が描かれる。背景には白樺を思わせる木が数本少し見えるくらいで、あとは壁である。これはどういう映像技術によるものなのかわからないが、話が進むうちに、壁に少しずつ老婆の家の様子がフリーハンドの絵が描かれていくように映し出されていくのである。木製のテーブル、そこに置かれた鍋のようなもの、殺風景な舞台から次第に人物の体温が感じられてくる。描かれる絵は、兵士と老婆の関係が少しずつ変化し、つながりが生まれていることを示すのだろう。
大掛かりな装置も衣裳や化粧もしない、これ以上簡略にはできないくらいのシンプルな舞台から、くすんだ色調のヨーロッパ映画をみているような不思議な気持ちにさせられる。いつのまにか物語に引き込まれ、いろいろな風景が自然にみえてくる。演出の手腕や俳優の演技力をみせようとするあざとさがないところが好ましい。
戦争中というのに、どこかのどかで微笑ましい物語は、終幕になって一転する。人はたとえそれが敵国人であっても温かく優しくすることができるが、同時に恐ろしく悲しいこともしてしまうのである。悲しく重く、やりきれない話だ。客席の自分は、そこで起こったことをすべて受け入れ、人々の心を受け止めるしかできないことを深く悲しむ。わずか40分の作品が投げかけるものは深く重く、物語の世界に対して無力である自分を思うと悲しいが、そういう気持ちにさせてくれるのは、演劇の力である。それが信じられるから、自分はこれからも生きていけるのだ。
普仏戦争の末期、フランスの小さな村にプロシア軍が進駐し、3人の兵隊が「ソヴァージュばあさん」と呼ばれる老婆のうちに寝泊まりをすることになる。兵隊のうちの1人はフランス語が話せるが、あとの2人はほとんど身振り手振りのとんちんかんなやりとりになる。ばあさんの息子は戦争に行ったまま行方知れずだ。言葉によるコミュニケーションが取れない敵国の兵士と、彼らに占領された老婆の奇妙な共同生活の様子が描かれる。背景には白樺を思わせる木が数本少し見えるくらいで、あとは壁である。これはどういう映像技術によるものなのかわからないが、話が進むうちに、壁に少しずつ老婆の家の様子がフリーハンドの絵が描かれていくように映し出されていくのである。木製のテーブル、そこに置かれた鍋のようなもの、殺風景な舞台から次第に人物の体温が感じられてくる。描かれる絵は、兵士と老婆の関係が少しずつ変化し、つながりが生まれていることを示すのだろう。
大掛かりな装置も衣裳や化粧もしない、これ以上簡略にはできないくらいのシンプルな舞台から、くすんだ色調のヨーロッパ映画をみているような不思議な気持ちにさせられる。いつのまにか物語に引き込まれ、いろいろな風景が自然にみえてくる。演出の手腕や俳優の演技力をみせようとするあざとさがないところが好ましい。
戦争中というのに、どこかのどかで微笑ましい物語は、終幕になって一転する。人はたとえそれが敵国人であっても温かく優しくすることができるが、同時に恐ろしく悲しいこともしてしまうのである。悲しく重く、やりきれない話だ。客席の自分は、そこで起こったことをすべて受け入れ、人々の心を受け止めるしかできないことを深く悲しむ。わずか40分の作品が投げかけるものは深く重く、物語の世界に対して無力である自分を思うと悲しいが、そういう気持ちにさせてくれるのは、演劇の力である。それが信じられるから、自分はこれからも生きていけるのだ。
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