因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『ダウト―疑いをめぐる寓話―』

2019-10-28 | 舞台

*ジョン・パトリック・シャンリィ作 鈴木小百合翻訳 大間知靖子演出 公式サイトはこちら 下北沢・小劇場B1 29日終了
 2005年にピューリッツァー賞戯曲部門、トニー賞演劇作品賞を受賞し、オンブロードウェイで1年を超えるロングラン上演を記録した作品。2008年には、作者シャンリィ自身の脚本・監督、メリル・ストリープが主演で映画化されている。

 公演チラシに記載された本作のあらすじは以下の通り。「舞台は1964年。ニューヨークのカトリック系の教会学校で、厳格な校長が抱いた『疑い』は、進歩的で活発な神父とその生徒との不適切と思える関係に対してだった。不確かな情報、否定と肯定、そして疑念はやがて確信へ……」。ここには「教会学校」とある。当日リーフレットにおいて演出の大間知靖子は同じ言葉を使い、それに対して翻訳の鈴木小百合は「カトリック教会の学校」と書いている。「教会学校」と言うと、いわゆる「日曜学校」、キリスト教会や寺院が日曜日などに子どもたちを集めて行う伝道・教育活動が思い浮かぶのだが、本作の場合、カトリック教会が営む私立学校で、神父やシスターが教師を務めている、という理解でよいであろう。

 ケネディ大統領が暗殺された1964年のニューヨーク。校長であるシスター・アロイシス(眞野あずさ)は、若いシスター・ジェイムズ(伊藤安那/文学座)から、快活な人柄とユニークな指導で、生徒たちから人気の高いフリン神父(山口眞司/演劇集団円)と、校内ただひとりの黒人生徒であるドナルド・ミラー(彼は最後まで姿を見せないが、終盤に母親のミラー夫人/村中玲子が登場する)がただならぬ関係にあるとの「疑い」を抱く。主に校長室を舞台に繰り広げられる議論劇である。

 冒頭、フリン神父の説教に続いて、ふたりのシスターのやりとりの場面があり、ここでアロイシスの心に疑いが芽生える。いわば本作の助走部分なのだが、この場面が長く、なかなか核心に近づかない。これは劇作家の戦略として必要な時間であり、状況であるはずだが、この序盤の重要な場面において、声の大小、高低、緩急に関わらず、客席に確実に届く台詞と、そうでない台詞があること、それによって観客の緊張や劇の感興がどのような影響を受けるかを意識せざるを得なかった。

 今回の公演について、劇作家のシャンリィが寄せたメッセージには、「正しくあるべき、という私の欲求は崩れ去り、人生の曖昧さを露呈することになりました。もしかすると、この物語は皆様の思考や心の中の何かに光を照らしてくれるかもしれません」とある(公演リーフレット掲載)。

 まちがいよりも正しいほうが良い。しかし人はしばしばまちがうものであり、ときにはそこにこそ神が宿り給うこともあるかもしれない。本作に登場する聖職者たちは、あやまちや曖昧であること、脆いことを観客に晒すことによって、神の存在、その愛の深さを示しているとも考えた。

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