因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

アル☆カンパニー『ゆすり』

2008-09-23 | 舞台
*青木豪作・演出 公式サイトはこちら スペース雑遊 28日まで 川崎市アートセンターでも公演あり
 このところ脚色を含め、青木豪はぶっとばすような勢いで劇作を続けている。今回も平田満、井上加奈子夫妻が主宰するアル☆カンパニーに新作を書き下ろし、演出も手がけている。これから先も上演が目白押し、次々と新作に出会えるのはほんとうに楽しみなのだが、あまりの働きぶりにちょっと心配な気も。

 東京のどこか。家賃収入で暮らす兄(大谷亮介)と妹(井上加奈子)の家に、昔アパートの住人だったという男(平田満)がやってくる。兄妹がほとんど覚えていないのに、男は思い出を饒舌に語り続ける。舞台を客席がL字型に近い形で挟んでおり、俳優も観客も逃げ場のない小さな空間である。台詞のひとつひとつ、登場人物のちょっとした仕草や表情の変化などに目が離せない。ベテラン俳優3人は危なげなく、手堅い作りである。一杯道具の舞台に何人もの人物がわさわさと出入りするグリングの作品とは異なる雰囲気だ。初日の固さは感じられず、既に完成度の高い舞台になっていると思われた。が、このもやもやした感覚は何だろう?

☆ここから先はご注意を。謎解き、サスペンスの要素がたくさんある舞台です☆

 まずタイトルの『ゆすり』であるが、すべてではないにしろ、なぜタイトルで話の種明かしをしたのだろうか?
 大谷、井上兄妹を平田満がゆすりに来る話。芝居が始まる前からわかってしまう。なぜ年賀状のやりとりだけだったのに突然訪問し、遠慮しつつも堂々と居座り、妙な馴れ馴れしさで一方的に思い出話をするのか。そこに至る話や、次第に明かされる過去はもちろん想像の及ばないものもあったが、男が何をしようとしているのかをあらかじめ観客に知らせることに(しかもタイトルで)、どのような意図があったのだろうか?また今回改めて思ったのは、夫婦役よりも兄妹役のほうが、演じるのがむずかしいのではないかということである。夫婦はもともと他人だが、兄妹には血縁がある。自分には大谷と井上がなかなか兄妹にみえず、そのため中盤からどんどん混乱してくる話にいまひとつ入り込めなかった。

 記憶についての話でもある。思い込み、願望が混乱してほんとうは何が起こったのかがわからなくなる。兄妹の静かな生活に闖入してきた男も、もしかすると兄妹の幻想の産物かもしれず、言い換えると平田が演じた人物の存在がいささか中途半端な印象なのだ。いつもの青木豪作品に比べると「え?」「は?」という問いかけの台詞が多く、少し際どい別役実戯曲のようでもあった。もっと先まで、もっと深く書ける人ではないか。自分と同じく青木豪の作品を続けてみている(ただし本作は未見)友人曰く「青木さん、最近足踏みしちゃってるかなぁ」。言い得て妙であると思う。躊躇なのか準備なのか、どこかで何かで、次の一歩があることを楽しみにしている。

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