*ソーントン・ワイルダー原作『楽しき旅路』より 中野成樹誤意訳・演出 公式サイトはこちら 横浜STスポット 21日で終了(1,2,3,4,5)
オオカミ男とは、今回中野と共に舞台を作った大学生4人のこと。一家4人が病気の長姉(石橋志保)の住む町へ車を走らせる。その道中を描いたものである。8月に行われた急な坂スタジオのマンスリーアートカフェで、今回の舞台のことが話題になった。興味深かったのは、誤意訳の試みについて、「ただ言葉の置き換えをしたいのではない」「自分の舞台について『原作を読んでいないのでよくわかりませんが』という感想もあって、きちんと検証されてないように思う」という中野の発言である。メモもほとんど取らなかったので、言葉は正確ではない。実際これまでいくつかみた中野の舞台は、生真面目なほど原作に忠実である一方で、ほかではみることのできない自由な描写もあって目が離せない。
母親役の斉藤淳子が目をひいた。劇団掘出者『チカクニイテトオク』や、toi presents 3rd『あゆみ』でみせた、うぶな雰囲気とはうってかわり、信仰心の強い堂々たる母親である。終始穏やかで、少しおとぼけなところもあるのだが、息子が神を揶揄するような冗談を言うのに本気で怒り、「車から降りなさい」「この子の隣に座りたくない」とまで拒絶する。しかし息子が心から反省して謝ると、雪が解けるように優しい母に戻るのである。神を信じている、息子を愛しているから。同世代の大学生同士が親子を演じているのに、まったく不自然に見えなかった。さらに彼らより(おそらく)ひとまわり年上の石橋志保がいちばん上の娘役なのだが、ここでも違和感は感じられず、具体的なあれこれは語らないが、辛いことも嬉しいことも丸ごと受け止めようとする家族の慎ましさが伝わってくる。
続けて上映された映画(紺谷昌充監督)のほうは、舞台よりも遊び心があって、舞台と映画を合わせてみせることにどんな意図があったのかはよくわからなかったが、これはこれで楽しかった。中野成樹+フランケンズの舞台には、一度味を覚えると病みつきになるおもしろさがあって、これからもせっせと足を運ぶことになりそうである。ワイルダー、もっとちゃんと読みませんとね。
オオカミ男とは、今回中野と共に舞台を作った大学生4人のこと。一家4人が病気の長姉(石橋志保)の住む町へ車を走らせる。その道中を描いたものである。8月に行われた急な坂スタジオのマンスリーアートカフェで、今回の舞台のことが話題になった。興味深かったのは、誤意訳の試みについて、「ただ言葉の置き換えをしたいのではない」「自分の舞台について『原作を読んでいないのでよくわかりませんが』という感想もあって、きちんと検証されてないように思う」という中野の発言である。メモもほとんど取らなかったので、言葉は正確ではない。実際これまでいくつかみた中野の舞台は、生真面目なほど原作に忠実である一方で、ほかではみることのできない自由な描写もあって目が離せない。
母親役の斉藤淳子が目をひいた。劇団掘出者『チカクニイテトオク』や、toi presents 3rd『あゆみ』でみせた、うぶな雰囲気とはうってかわり、信仰心の強い堂々たる母親である。終始穏やかで、少しおとぼけなところもあるのだが、息子が神を揶揄するような冗談を言うのに本気で怒り、「車から降りなさい」「この子の隣に座りたくない」とまで拒絶する。しかし息子が心から反省して謝ると、雪が解けるように優しい母に戻るのである。神を信じている、息子を愛しているから。同世代の大学生同士が親子を演じているのに、まったく不自然に見えなかった。さらに彼らより(おそらく)ひとまわり年上の石橋志保がいちばん上の娘役なのだが、ここでも違和感は感じられず、具体的なあれこれは語らないが、辛いことも嬉しいことも丸ごと受け止めようとする家族の慎ましさが伝わってくる。
続けて上映された映画(紺谷昌充監督)のほうは、舞台よりも遊び心があって、舞台と映画を合わせてみせることにどんな意図があったのかはよくわからなかったが、これはこれで楽しかった。中野成樹+フランケンズの舞台には、一度味を覚えると病みつきになるおもしろさがあって、これからもせっせと足を運ぶことになりそうである。ワイルダー、もっとちゃんと読みませんとね。
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