何度みても『勧進帳』には、はじめて歌舞伎をみるときのような緊張感を覚える。若い座組なら大作に取り組む必死で一生懸命な姿勢が伝わってくるし、人間国宝級勢揃いの円熟の配役であってもなお、深い奥行きと新鮮さを感じさせるからである。
今回は待ちに待った中村吉右衛門の武蔵坊弁慶である。
『勧進帳』をみるたびに注意しているのが、第十一段「詰め寄り」の場である。
富樫に疑われて絶体絶命の危機に陥った弁慶が、四天王を押さえつつ、富樫と番卒に立ち向かう場面。
渡辺保氏がこの場で弁慶が金剛杖を持つ手つきについて詳細に論じた文章があり(『勧進帳』ちくま新書)、それを読んで以来、この場面は気をつけてみるようにしているのだが、なかなか難しいのである。
今回の吉右衛門の場合、金剛杖が床と平行状態で四天王を押さえているところでは両手ともに逆手であったが、押さえつつ富樫に向かうところでは片方順手、片方逆手になっていた。どのあたりで持ち替えたのか、右と左とどちらが上だったか、またしてもはっきりと確認できなかった。残念、これは引き続きの課題である。
弁慶があるじ義経を思う忠義の心に感じ入った富樫は、これがほんものの義経一行と知って関を通ることを許す。引っ込みのところで、富十郎の富樫が客席に顔を向けずに思い入れをするのに驚き。こういう富樫ははじめてみた。
終幕、弁慶が花道の引っ込みのとき、「待ってました」「たっぷり」の大向こうに混じって、「ごゆっくり」の声が。客席に広がる暖かな笑い。ここで笑うことになろうとは。そういう場面ではないとは思ったが、すべて了解してこの舞台最高の見せ場をこれからみようとする観客の気持ちを代弁してくれたような大向こうであった。
イヤホン解説は小山観翁さん、情感溢れる解説は大好きである。
いつの公演だったか、弁慶の引っ込みのときに、先に行く義経と四天王の様子を見守る弁慶の気持ちを代弁するかのように「無事に行ったな」とつぶやくような言葉があって、とても心を打たれたことがある。
今回それははなかったが、「弁慶は喜び勇んで花道を駆けていきます」という解説が、吉右衛門に合っていることがわかった。安宅の関を突破してもこれから落ち延びていく奥州では死が待っている。悲壮感漂う弁慶も悪くないが、今回の吉右衛門には死の影よりも、希望が溢れている。
たとえ行く先に待っているのが滅びであっても、吉右衛門の飛び六法は希望に満ちた弾みがある。最大の難関は切り抜けた。このあともやれるだけ頑張ってみる。何とかして義経を守り抜く。そんな心意気が伝わってくるのである。どうか頑張ってくれ、と観客が祈らずにはいられなくなる気迫があるのだ。
吉右衛門のもつ豪放磊落な魅力、温かみ、情感のこもった演技がそう思わせるのだろうか(九月十八日観劇)。
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