*久保田万太郎作 西川信廣(文学座)監修 公式サイトはこちら 西荻窪・朋友芸術センター 17日で終了
当日リーフレットに掲載された企画・出演の西海真理の挨拶文には、今年で3年め、第3弾となるこのシリーズが、前回まで演出した西川信廣が監修となり、新たにピアノ演奏に上田亨を迎えたこと、美術の菱山裕子、照明の岡本謙治、音響の中嶋直勝は第1弾から続く参加であることなどが、喜びと感謝溢れる筆致で記されている。自分は昨年春に第2弾を観劇し、耳で聴く久保田万太郎作品の滋味を堪能した。あれから1年余、2度めの西荻窪である。
『一周忌』これまで違う座組で数回観劇している演目で(1,2,3)、つい、「ああ、あれねえ」と思ってしまうのは、冒頭からはじまる保険屋の饒舌ぶりがどうしても鼻についてしまうからである。そういうキャラクタであり、そのような台詞であるから、観客に軽い嫌悪感や倦怠感を与えるのは、むしろ正しい造形であると言える。しかしながら見ているうちに、その役を誠実に演じている俳優さんに対してさえ、「ああ、もう」という気持ちになってしまうのは、申し訳ない気がする。そういう面で厄介な作品だ。
今回はリーディング公演ならではの抑制が効いていたことと、保険屋の男性を演じていた年配の俳優さんの上品な持ち味のためであろうか、いつのまにか話に引き込まれてしまった。鶉と言って病人に食べさせたのが実は雀であったこと、夫を亡くして寄る辺ないおきくの密やかな屈託などが、本式の芝居より素直に感じられた。
もうひとつの理由は、もしかすると冒頭に読まれた「ト書き」のせいかもしれない。仮住まいの様子からおきくの心象を慮るように丁寧に記された文章なのだ。今度『一周忌』を見る機会が訪れたら、これまでとはちがう気持ちで臨めそうである。
『雪』複雑な事情を抱え、大変な苦労を重ねている「およし」と髪結いの会話にはじまり、亭主やその母親、養女に出した娘など、人の出入りも少なくないが、例によって背景やいきさつすべてが明かされることはない。観客は何となく察し、想像するのである。文学座女優筆頭・本山可久子の出演作を見るのは、何と今年になってからもう3本めである(1,2)。しっとりとした美しい台詞の発語と、端正な和服で舞台に登場する、その足の運びですら全く無駄がない。梅雨のさなかでありながら、1月末の初不動の雪の日の物語が違和感なく心に沁みとおってくる。
ひとつ気になったのは音楽の使い方である。上手奥にアップライトピアノが設置され、音楽担当の上田亨が生演奏で作品を支える。物語の要所要所で優しく、ときに悲しく語りかけるような控えめなメロディはとても美しく、舞台にメリハリを生んでいる。しかしながら、メロディのあまりの優しさ、というより甘さのゆえに、戯曲そのものの深さや余韻が伝わらないのではないかと思われるのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます