*野木萌葱作・演出 公式サイトはこちら (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21)六本木/俳優座劇場 25日で終了
劇団の最高傑作の呼び声高い作品が、俳優座劇場にお目見得した。穴倉のようなpit北/区域の舞台空間と、裁判の息づまるような攻防がこれ以上ないというほどぴったりしているので、ステージと客席が緞帳を隔てて向かい合うオーソドックスなつくりで、キャパシティもそうとうに多い俳優座劇場での上演がいったいどうなるのか。期待と不安半々で足を運んだ。
芝居がはじまったとたん、すべては杞憂であった。俳優の演技はpitに比べてことさら大きくなっているわけではない。さすがに客席との距離は遠くなってはいるが、今回自分は最前列での観劇であったことが幸いして、俳優の息づかいも生々しく感じとることができた。なおかつ舞台両袖もとくに隠したりせずさまざまなものが積み上げられたり、ワイヤーなどがそのまま見える状態であったため、殺風景な空間に5人の日本人弁護団がぽつんと置かれているような雰囲気を感じとることができた。
弁護人を演じる植村宏司、西原誠吾、井内勇希、今里真、小野ゆたかは、俳優座劇場の広さにも、おそらくいつものパラ定とはいささか異なる客層(年配の方が多い印象)にも、そして戦勝国の判事、検事にも負けず、あれがだめならこれ、こうして無理なら別の方法でと奮闘する。
東京裁判をめぐる歴史的背景を知らずに舞台を見たとしたら、28人の被告を極刑から救おうと懸命な5人のすがたに心を躍らせ、手に汗を握り、がんばれと声援を贈りたくなるだろう。自分は本作の観劇がこれで3度めになるが、多勢に無勢にも関わらず、知恵を絞り、力を合わせて逆境を乗り越えようとするさまには、毎回前のめりになる。
しかしながら、2015年の今年は、やはり戦後70年の特別な年である。新聞や雑誌の特集記事、映像でもさまざまな特集番組が放映された。とくに自分にとっては塚本晋也監督・主演の映画『野火』の影響、さらに安倍晋三政権による安保法案をめぐる社会の動きなど、考えること、迷うこと、怒りを感ずることなどが多々あった。これらの出来ごとは、『東京裁判』の感じ方を、さまざまな場面において変容させざるを得ない。生身の俳優が目の前で演じる演劇、それを見つめる観客もまた生身の存在なのだ。
野木萌葱の戯曲は非常におもしろい構成である。とくにト書きの記述がユニークだ。人物の動きや台詞の言い方の指定というより小説の地の文に近く、その人の心象が自然に書かれており、終演後に舞台の様子を思い起こしながら戯曲を読むのが、パラ定観劇のもうひとつの楽しみになっている。
『東京裁判』には、舞台に登場しない外国人裁判長、検事たちの台詞も書かれている。リアルな裁判劇なら、音声にして聞かせる手法が考えられる。そうすれば裁判の流れや内容もぐっとわかりやすくなるだろう。しかし敢えて登場させず、聞かせないことの演劇的効果はどんなものであろうか。
5人の弁護団は、戦勝国という圧倒的な強者を相手に戦う。しかも彼らのすがたは見えない。見えないだけに不気味なまでに大きく、強く感じられる。さらにこれはいささか深読みかもしれないが、がらんとしたステージで、5人が熱くなればなるほど、彼らの闘いの虚しさや、ふとこれは浮遊する幻想かもしれないとさえ思えてきて、これはまさに俳優座劇場効果ではなかろうか。パラドックス定数の『東京裁判』は、これからまだまだ変容の可能性がある。そして見る自分にも何らかの変化があるはず。これはもう年末のpit北/区域閉館公演に行かないわけにはいかないのである。
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