*サジキドウジ作 東憲司演出(1,2) 塵芥美術 公式サイトはこちら ザ・スズナリ 24日まで
劇団のwebサイトをみると、初日から千秋楽まで全日程で完売の由、たいへんな人気である。
筆者最大の関心は近藤正臣である。テレビや映画でよく知られている、いわゆるスター俳優が下北沢のスズナリの舞台に立つことは想像しにくい。いったいどんなきっかけで?当日リーフレットに掲載された東憲司の挨拶文を読んで納得した。18年前、ある商業演劇公演において当時駆けだしの音響オペレーターだった東を、主演の近藤が食事に連れ出してくれたというのだ。やがて劇団桟敷童子を旗揚げし、近藤はその公演をみてたいそう喜んだという。それから石川さゆり特別公演の作・演出を2度にわたって東が行い、近藤はその舞台に出演した。そして今日、桟敷童子への客演が叶ったというのである。
「近藤さんはある意味、僕にとって恩人であり、師匠であり、そして厳しい観客である」
何でもそうかもしれないが、演劇をつくるとき、どのような人と出会えるかは非常に重要なことと想像する。多方面に人脈をもつ人と知りあえれば、仕事につながる可能性は高い。しかし東と近藤のまじわりは、仕事の枠組みを越えて、同じ演劇という魔物にとりつかれた者同士が「もっとおもしろい舞台をつくろう」という熱意でいっそう強く結びついたものではなかろうか。
東の挨拶文は、自分を引き立て、劇団に目を掛けてくれた近藤正臣への感謝とともに、「あの近藤さんとぜったいにいい舞台を作る」という熱意に溢れており、これからはじまろうとしている最新作への期待をますます高めるものであった。
昭和初期、九州地方と思われる山奥の村で神隠しを恐れる村人たちが、山の神を鎮めようと悪戦苦闘をくりかえす。そこにずっと昔、神隠しにあったと思われるひとりの少女が現れた。
公演案内のDMには「劇団員の総力をあげて渾身の舞台美術を創り上げます」とあり、そのことばどおり、スズナリの小さな舞台によくぞここまで作り込んだと驚嘆した。それはコンピュータやCGなどの専門技術を駆使した大掛かりなものではなく、つくった人、それを動かす人の汗の匂いがしてくるかのようなものだ。手づくり感覚や温かな手触りというには迫力がありすぎ、劇団桟敷童子では、舞台美術があたかも劇団員のひとりのごとく血肉ある生々しい存在として、客席に迫ってくるのだ。
これははじめて観劇した『海猫街』でも感じたことだが、開演前、終演後ともに劇団員俳優スタッフみなさんが観客一人ひとりに対して、じつに丁寧で熱のこもったことばと態度で迎え、送りだしてくださることだ。ああ、来てよかったと思えるのである。カーテンコールでは出演した若手俳優がアンケートへの協力を呼びかけ、出演者を一人ひとり紹介する。ぶち切れそうな絶叫調である。そんなに大きな声でなくてもじゅうぶん聞こえるし、これが演出によるものとは思いたくないが、いやもうあれこれ言うのは野暮だ、その意気で行け!と拍手を贈りたくなるのだ。
桟敷童子公演では劇場まわりに幟が立ち並び、すでに衣装をつけて化粧をほとこした俳優が観客を誘導するなど、まがまがしいアングラの匂いがする。それと同時にいわゆる商業演劇の「こてこて」感もたっぷりあって、その劇世界は演歌的でもある。つまりさまざまな要素がぶつかりあい絡みあいながら、桟敷童子独自の演劇を構築しているのだ。ほかでみることはできない。
各人物の設定や背景、造形には既視感があり、物語の展開にも意外性はあまり見いだせない。また前回の観劇と同じく、劇中で女優のからだをみせることには強い抵抗がある。はっきり言う。その必然性はない。
しかしそれらを補ってあまりある桟敷童子の魅力をたっぷりと味わい、足が地に着かないほどの高揚感に満たされて晩秋の劇場をあとにした。
遅ればせながら「舞台俳優近藤正臣」をみることができた。それも桟敷童子の舞台、小劇場のメッカ、下北沢のスズナリで。これは自分にとって忘れることのできない演劇体験となった。
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