因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

サブテレニアンプロデュース Dialogue『キル兄にゃとU子さん』

2013-12-02 | 舞台

*大信ペリカン(満塁鳥王一座)脚本・上演台本 赤井康弘(サイマル劇団)構成・演出・美術 公式サイトはこちら サブテレニアン 3日まで 12月5,6日は静岡市のアトリエみるめで公演あり
 満塁鳥王一座は、2011年3月の東日本大震災で公演を予定していた郡山の劇場が損傷したため、中止を余儀なくされ、劇団員自身も被災者となった。しかし3ヶ月の6月にサブテレニアンでの本作初演を成功させたのである。その後、横浜、仙台で上演が続き、昨年11月には地元の福島でリーディング上演を行ったとのことだ(公演チラシより)。自分は横浜公演をみのがし、今回はぜひにと足を運んだ。
 今回は韓国から女優のクォン・ナヨンを招いて大信ペリカンがリライトをした。改訂版による再演である。この流れをきちんと頭に入れておかねばならない。2011年の6月の初演、同9月の横浜での再演は、大震災を体験した被災地の劇団が作り上げたものであり、2年経過してこれからみようとしているのは、当事者ではない人の手によってつくられた舞台なのだ。
 2011年の上演をみのがしており、シアターアーツ掲載の戯曲も読んでおらず、作品の内容そのものについてはまったく予備知識がなかった。これが自分自身の現実であり、作品に対するスタート地点の状況として、どうしようもないことだ。ここから出発するしかない。

 今回はアフタートークも含めて自分がはじめて体験する『キル兄にゃとU子さん』の印象とすべきであろう。劇団99rollの菅野直子が司会進行をつとめ、演劇評論家の西堂行人氏、演出の赤井康弘が登壇した。

 舞台の床には夥しい量の新聞紙が敷きつめられており、上から白いペンキのようなものが塗られている。周囲には椅子やランドセル、壊れた扇風機やパソコンなどが、やはり白く塗られてころがっている。中央には楕円形の台が天井から宙づりにされ、その上には色とりどりの可愛らしい模型の家やビルが並ぶ。おもちゃの町は今にも楽しいおしゃべりをはじめそうに息づいており、それとは対照的に白く塗られた瓦礫の数々、いずれも被災地の沈黙や悲しみを象徴するかのようだ。

 まことに単純だがキル兄にゃとU子さんが登場する物語を想像した。記号のような名前であるが、昔から親しみをもってずっとそう呼ばれていたあだ名のようなものかもしれない。被災地である福島の劇団の作品であるから、その地に住む人についての物語であると。しかし不思議な雰囲気をかもしだす舞台美術のなかではじまったのは、起承転結のある物語ではなかった。登場するのは男がひとりに女1と2、そして1970年の女の4人である。彼らがかわすやりとりは断片的で、しかもクォン・ナヨンが演じる女2のほとんどの台詞は韓国語である。
 人物の対話によって進行する物語ではなく、モノローグが多くの部分を占める。ほかに詩や何かの資料を読んだりと、断片的な場面がつづく。とうとう最後までキル兄にゃもU子さんも現れないのである。いない人を探しつづける4人は、最後には床に散らばった新聞紙の切れはしに記されたU子さんの消息を読みあげる。年齢も職業もさまざまな「U子さん」は、あの日あの地で津波に遭い、あるいは原発事故によってどこかの町へ行ってしまった、たくさんの「U子さん」なのではないか。公演チラシに記された「我々は未来の被災者である」というメッセージがにわかに重く迫ってくる。

 起承転結の流れを明確に持たないことや、4人の人物の対話によって物語が進行しない形式(これらの言い方もずばりではない)はなじみにくく、「これをどうとらえればいいのか」という困惑が大きく支配した。しかし前述のようにアフタートークにおいて、決して作品の解説ではなく、大震災と原発事故という未曽有の災害によって翻弄され、影響を受けざるを得ない劇作家、俳優がそれでも無我夢中で創造した舞台があり、それを観客がどう受けとめたか、2年経過して震災の現実感が風化するなかで、作品が構造をもちはじめたこと、時間が経過しても震災に特化することなく上演する価値のある作品であること(つまり普遍性がある)、しかし逆に普遍化できない固有のものこそ、演劇にできるものであることなど、きちんとした道筋を示されたことによって、舞台の印象が明確になった。

 作品は決してわかりやすいとはいえず、集中するのにちょっとした苦労が伴うものであった。
 劇中で高村光太郎の詩や、津波で死んだ妻の霊が昔の恋人と結ばれたことを知った夫の悲しみを記した物語が読まれる場面は非常に幻想的で美しかったが、これらを作品ぜんたいの構造のなかできちんととらえられたかどうかもわからない。
 しかしアフタートークを含めて、非常に有意義な演劇体験をしたという手ごたえが得られた。 これは実に稀なことであり、大変幸運であることを喜ぶいっぽうで、もし予備知識はもちろんトークもなく、まったくの丸腰の素手で本作をみたとして、果たして自分はどこまで味わい、理解することができたのかと考えると、たちまち12月の冷たい風が心身を吹き抜けるのであった。

 自分の理解力の乏しさはしっかり自覚しなければならないが、いたずらに落ち込むのはやめ、豊かな演劇体験ができたことをもっと素直によろこぼう。『キル兄にゃとU子さん』の舞台に出会えたこと、それもはじめてみたのが2013年の改訂版であったこと。
 たぶんこの体験は、これからの自分の演劇歴のなかで重要な意味をもつだろう。

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