因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

iaku『walk in closet』

2015-11-20 | 舞台

*横山拓也作 上田一軒演出 公式サイトはこちら 吉祥寺シアター 23日まで(1,2,3,4,5,6
 今回はセクシュアリティの話である。関西地方のある町で、公務員の父と専業主婦の母と暮らす20歳の青年が、自分のセクシュアリティのことを両親に告白し、両親がそれをどう受けとめるかを描いた90分だ。近所の川が決壊するかもしれないという大雨のなか、帰るに帰れない人々が次第に集まってくる。青年が小学生のときに通っていた体操教室の教師、うわさ好きでお節介のご近所の奥さん、青年がバイトをしている山カフェの店長とバイトの女性などなど、この家族とさまざまな流れでつながっている人々が否応なく一堂に会し、ひとりの青年の生と性について議論が戦わされる。

 青年がほんとうにゲイであるかどうか、最後まで明確にならなかった。彼が苦しんでいるのはまさにその点であり、ここをどうとらえるかによって、作品に対する見方が分かれるであろう。作者の横山拓也自身がゲイの友人と話すときに、「そっちの人たちは・・・」と言ってしまい、「小さな差別心みたいなものをたくさんみつけてしまった」(当日リーフレット挨拶文より)ことに対する現時点での精一杯の答であると思われる。

 おののきながら懸命に受けとめようとする母、「親をみくびるなよ」とみずからを鼓舞しながら励ます父。山カフェの店長はゲイであり、以前青年と交際したことのあるバイトの女性は、彼に振られた心の傷に痛みを覚えながらも、大人たちの無理解や無意識な差別発言に懸命に応戦する。一方で芸能週刊誌的な興味であれやこれやと口を出すご近所さん、はじめこそ穏やかに振舞っていたが、過去のできごとを蒸しかえし、恨みを晴らすごとく執拗に絡む元体操教師。これらの人物一人ひとりのなかに、作者の目があり、心があるのだ。

 そして作者の目の向かうところ、心の動きはまだ定まっておらず、戯曲を書き、舞台を作る過程において、迷い悩み、自分の心に問いかけ、懸命に模索していると感じられる。創作行為とは、「これが正しい」と確信して突き進むこともあれば、「何かが間違っている」ことに気づくこと、そこから再び作りはじめることでもある。

 登場人物たちの対話は、なかなか結論に至らず、あともどりや蒸し返し、水掛け論のようなやりとりが続く。しかし冗長とは感じられず、初日の客席の緊張感は最後まで緩むことがなかった。劇作家の技術として、「このあたりでこの人物にこう言わせれば話がスムーズに展開する」ということはできると思う。しかし本作にはそれがなかった。セクシュアリティについて、作者自身が迷いのなかにあることが、舞台を好ましいものにした。それを受けとめたいと思う。
 

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