*三島由紀夫作 ペーター・ゲスナ―演出 公式サイトはこちら 下北沢ザ・スズナリ 19日まで
本作については2009年冬の横濱リーディングコレクションファイナル「三島由紀夫を読む!」 (片山雄一/NEVER LOSE 、トライフル構成・演出)が記憶に新しい。ロリータ・ファッションに身を包んだ可愛らしい女優がアドルフ・ヒットラーを演じ、美少女に翻弄される男3人(エレンスト・レーム、グレゴール・シュトラッサー、グスタフ・クルップ)といった趣向であった。普通に上演すると2時間近くかかる戯曲を45分に再構成したもので、前述の趣向がおもしろく、上演時間が短かったにも関わらず、登場人物がずっと議論しつづける作品は、集中するのがむずかしいものであった。今回はドイツ人演出家と男優4人が三島戯曲にぶつかっていく超硬派な舞台が予想された。
3つある窓の中央バルコニーにヒットラー(笠木誠)が立ち、広場の群衆に向かって演説を行っている。右がわにエルンスト・レーム(浅野雅博/文学座)、左にはグレゴール・シュトラッサー(下総源太朗)を従えている。2人とヒットラーの関係、また2人同士の関係は複雑で、そこにグスタフ・クルップ(若松武史)が加わると関係はいよいよ複雑になり、公式サイト掲載の豆知識や当日リーフレットを読んだとしてもそれを正しく把握するのはむずかしい。自分は戯曲も読んだのだが、文字に書かれた台詞を思い出す前に登場人物の議論がどんどん進んでいくので、頭の中身が目の前の上演についていかないのが正直なところであった。本作をほんとうに理解し、楽しむにはそうとうの知力と体力が必要であることを再認識した。予想通り超硬派な舞台、そして自分は完敗。これも実は予想していたことであった。
いま戯曲を読み直している。おもしろい。どんどん読める。書かれたことば、台詞を目で読むと、意味や状況がよくわかり、舞台の様子が思い描けるのである。「彼は友誼に厚い」「累卵の危うきにある」など、台詞として耳で聞いてすぐに字面と意味がわからない(あくまで自分にとっては、ということであるが)もの、日常会話ではほとんど使ったことのないことばが多く発せられている。また舞台奥に広場があり、そこに大群衆がいてヒットラーは演説をしながら、背後からは劇場の観客にみつめられているという二重構造に、演説を終えたヒットラーに「ヒットラー、観客に向かって立ち、」とわざわざ傍点をつけられたト書きを読んで改めて「そうか」と腑に落ちた。レームが率いる「突撃隊」とドイツの国軍の力関係、戦友であるヒットラーとレームのやりとりを読み込んではじめて、「ああ、エルンスト、誘惑するな」というヒットラーの台詞を理解して笑えるのであり、次のシュトラッサーとの議論にもつながっていく。朝食のコーヒーにヒットラーがどんどん砂糖を入れるのに、突如日常会話のような軽さで「あ、いらない」と言うレームや、ダンスのステップを踏むクルップ、レームを真うしろからつけまわすシュトラッサーに笑っている場合ではないぞ。これは暗に演出を批判しているのではなく、あくまでも自分への叱咤である。
ふと、パラドックス定数の野木萌葱が本作の4人が登場する戯曲を書いたら…という妄想が思い浮かぶ。ぐったりと疲労した夏の午後だったが少し元気が。
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