*ワジディ・ムワワド作 藤井慎太郎翻訳 上村聡史演出 公式サイトはこちら シアタートラム 10月15日まで
本作は『灼熱の魂』(You tube予告編)のタイトルで映画化もされた。映画にはたいへんな衝撃を受け、舞台が楽しみでもあり、怖くもあった。麻実れい、岡本健一に加えて、『ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる』の舞台の記憶が生々しい那須佐代子、中嶋しゅうが共演する。 ほかにも、今回が初見の若手の小柳友、『運転免許 私の場合』の中村彰男、『終の楽園』につづく栗田桃子。いったいどんな舞台になるのか。
客席がコの字型に組まれ、演技エリアを囲むかたちになっている。舞台の床は軽く前方に傾いた、いわゆる「八百屋舞台」である。中東とカナダを行き来しながら、ひとりの女性の半生数十年の物語が展開する。主人公ナワル役の麻実れいと、公証人エルミル役の中嶋しゅう以外の俳優は、少なくても2役、中村彰男は最多の7役を演じ継ぐ。
これ以上ないほと削ぎ落した舞台美術、絶妙な照明、音響、緻密で慎重でありながら、心身が破れんばかりの、まさに渾身の演技をみせた俳優陣、それらを統べた演出。すべての要素が結実した稀有な舞台であった。
みていて楽しいところ、心が弾むように嬉しくなるところはまったくないと言ってよく、泣くに泣けない、悲しくてやりきれない、何をどういってよいのかわからなくなるような物語である。しかし登場人物ぜんいんが、一枚の布の下で降りしきる雨を見上げるラストシーン、「それでもこの世に生まれてきたことを喜んでほしい」と願う気持ちがあふれるように湧いてきた。
映画と舞台の表現の比較等々ははじめれば切りがなく、ただ受けとめるのが精いっぱいだ。この舞台に出会えたことは今年の大きな収穫のひとつである。
さて自分の観劇日、劇場に入って驚いたのは、客席に男子高校生がおおぜいいたことである。チケット予約のときに気づかなかったのか、目にしてもそれほど気に留めていなかったのか、公式サイトの上演スケジュール欄には、「学生団体あり」とちゃんと明記してあった。数年前、あるミュージカルのチケット予約のために帝国劇場に問い合わせたときのこと、希望日時を告げると、「この日は修学旅行生の団体客がありますので、あらかじめご承知おきを」と言われた。「もしかすると騒々しかったりするかもしれないが、こうして事前にお断りしておりますからそのように」という説明があったように記憶する。
『炎 アンサンディ』の場合、内容が重すぎて引いたのか寝落ちしている子もいたが、「騒がしくて困る」ことはまったくなかった。これははっきり申し上げておきます。
しかし開演前はもちろんのこと、上演のさいちゅうも「だいじょうぶかな?」と気になって、集中を欠いてしまったことはたしかである。人数にしてひとクラス分くらいであっただろうか。シアタートラムの客席がかなりの部分で占められており、しかもコの字型の左右の席のほとんどが男子高校生であることには、とまどいがあった。
どうして彼らが今回の舞台をみることになったのか詳しい事情はわからない。『炎』はひとりでも多くの人にみてほしい、この思いを共有したい、語りあいたいという願いが湧いてくる。だがどのような意図や願いをもって、高校生にこの舞台を体験させることになったのか、そのあたりを測りかねるのである。
休憩時間中や終演後も、彼らの様子からは舞台を楽しんだというよりも、困惑している印象をもった。あくまで表情などをかいま見ての印象であるが。
むろん「高校生にはまだ無理」とひとくくりにするつもりはなく、若い心に何かが届く可能性はじゅうぶんにあり、今日すぐにわからなくても、何年も経ってすとんと胸に落ちるものがあるかもしれない。
見知らぬ誰かと時間と場所を共有すること。今日の数時間だけともに過ごした人と、ひとつの劇世界を体験する喜びは、観劇の醍醐味である。たまたまお隣にいた方が、舞台に対してとてもすなおで新鮮な反応をされ、ほんとうに楽しんでおられることが伝わってくると、こちらまで嬉しい。今日みにきて、この席でよかった。お隣のあなたにも「ありがとう」と言いたくなる。
残念ながら、今回は豊かな演劇体験にはならなかった。高校生みずからが「この舞台をみたい」と希望したのならべつであるが、先生方が選んだとして、主催者側がそれを受け入れたこと、この舞台を選択した意図というものに、いささか疑問がわくのである。
舞台意外の記載が長くなってしまったが、『炎 アンサンディ』は素晴しい。これだけはまちがいなくはっきりと言えることであり、いっしょに舞台を体験したたくさんの男の子たち、どうか演劇を好きになって、自分からどんどん劇場に足を運ぶようになってほしい、そう心から願うのである。
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