因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

日本のラジオ第6回『蛇ヲ産ム』

2010-12-26 | 舞台

*屋代秀樹作・演出 公式サイトはこちら 渋谷ギャラリールデコ3F 26日で終了
 まさか今年の芝居おさめがギリシャ悲劇になろうとは。これが初見の日本のラジオ『蛇ヲ産ム』はソフォクレスの『エレクトラ』、アイスキュロスの『オレステイア』、エウリピデスの『エレクトラ』、『アウリスのイピゲネイア』を元に、ギリシャ悲劇を現代口語演劇風?に再構成したものである。
 ルデコといえばコンクリート打ちっぱなしの暗く冷たい壁と床のイメージがあるが、エレベーターを3Fで降りたとき、一瞬フロアを間違えたかと思った。フローリングの床に白い壁の室内は、カフェか美容院のように明るく清潔な印象だ。正面の演技スペースに丸いテープルと椅子が数脚あり、客席は正面と上手の2方向に設置されている。

 一族が壮絶な争いを繰り返す愛憎劇である。『蛇ヲ産ム』は、クリュタイメストラが夫アガメムノン(登場しない)を殺害するまでの話と、オレステスが故郷に戻って姉のエレクトラと再会し、姉弟が共謀して母親とその愛人アイギストスを殺して復讐を遂げる話を交互に描く構成になっている。舞台正面の壁に人物関係図が大きく書かれ、当日リーフレットにも簡潔な説明があるので、原作をまったく知らないとしても何とか流れはつかめると思う。

 自分がこれまでみてきたギリシャ悲劇は、ベテラン俳優に若手が挑みかかり、中堅が手堅く支えるという形が多く、人物の造形は愛や憎しみを張り裂けんばかりにぶつけ合う台詞の応酬によるものであった。今回は実年齢の差はそれなりにあると思うが、概ね近い世代の俳優陣が現代の言葉で話す。たとえばクリュタイメストラの女優さんは若くてふっくらと可愛らしく、オレステスやエレクトラの母親としてみるには無理があるし、進行役の存在がじゅうぶんに活かしきれておらず、過去と現在が交互に進行する構成にもどかしさがあった。現代風にするのであれば、もっと大胆に削ぎ落してシンプルなものに挑戦してみてもよいのではないか。

 十数年前、デヴィッド・ルヴォ―演出の『エレクトラ』をみたとき、太古の昔から憎しみはこれほどに人を苦しめ、傷つけること、その感情は現代の人間もまったく変わっていないことに慄然とした。しかし茨城県でバスに同乗していた高校生を無差別に襲った男性は、自分の人生を終わりにしたかったのだという。考えることと行動が噛み合っていない。いよいよ混乱する現代において、激しく愛し、激しく憎むギリシャ悲劇の人々の物語は、真っ当な憎しみの果ての、理にかなった行動の結果として逆に安定感がある。ギリシャ悲劇を現代の若者が現代の口語で演じること。その目的と意味は何かを今一度考えたい。また抽象的な表現になるが、原作の台詞がもつエネルギーを俳優がおなかにしっかり落とした上でないと、現代口調の軽さと内容の重さのギャップがよくない面に出てしまい、俳優の居どころが中途半端にみえて、こちらの視点も定まらない。そのなかで、オレステスを演じた横手慎太郎が台詞、立ち姿ともに際立った存在であった。

 ルデコは電車や車などの騒音はもとより、上下のフロアの音もおかまいなしに聞こえてきて、演劇を上演する環境として良好とは言いかねる。この日は上のフロアが別の芝居の撤収をしていたのか、ものすごい音が響いていた。しかし目の前の『蛇ヲ産ム』をみるのに妨げにはならなかったのである。ある場所、ある家族で大変な惨事が起こっている。けれど世の中はそれとはまったく関係なしに流れていく。そんな印象を持った。ルデコは不思議な空間だ。これからも大胆な発想と試みを期待したい。

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