*ヘンリック・イプセン原作 矢野靖人構成・演出 公式サイトはこちら アトリエ春風舎
31日まで (1,2,3,4,5,6,7,8) 第20回BeSeTo演劇祭 BeSeTo+参加作品
イプセンには何度も挑んでいるshelfだが、今回は初の国際共同制作として、韓国の俳優Cho Yu Mi(以下ユマ)を客演に招いた。タイトルの(s)が気になる。
アトリエ春風舎の劇場入り口は、いかにも思うそうな引き戸になっている。開場が告げられて引き戸が開くと、ほかの劇場とはちがった感覚で場内にいざなわれる。外界とはあきらかに違う空間へ足を踏み込んだという気持ちになるのである。
出演俳優はみな板についている。横たわって動かないもの、こちらに背を向けているもの、膝を抱えて座り、何か小声でつぶやいているもの。奥には男性らしい顔がぼうっと浮かんでみえる。舞台装置や道具のたぐいはいっさいない。ステージの暗闇はどこまでも深くなりそうで不安と期待が高まる。
イプセンの『人形の家』がひとつのモチーフになってはいるが、この物語がそのまま上演されるのではない。タイトルの(s)が示すとおり、4人の女優それぞれがノラにもなり、ほかの人物にもなる。しかも役を演じ、ほかの役との台詞のやりとりによって物語が進むという形式をとらないものだ。4人の女優一人ひとりがノラであり、べつの人物でもある。ひとりの女性のなかに潜む「ノラ的な要素」をみせながら、まさにshelf独自の劇世界を構築せんとする試みだ。
(11/9主宰者よりご指摘あり、ノラを演じる3人の女優を4人に訂正いたしました。大変失礼いたしました)
韓国人女優ユマはたたずまいも台詞の発語もすばらしく、自分は韓国語がわからないのだが目も耳も奪われそうになったくらいだ。ユマは韓国語で(おそらく)ノラの台詞をいう。
その台詞は終幕、ノラがはじめて夫に議論を挑み、立ち去るまでの終幕の場面である。
物語の最後からはじまる舞台、ふたりの女優の台詞は掛け合いというほどきっちりしたリズムはないが、おそらく試行錯誤をくりかえしたのちに、タイミングや強度などさまざまな要素が最善のものとつくりてが判断したものと思われる。日本語の台詞は自分がもっている原千代海のものよりはるかに古めかしい。日本語を発する川渕優子、韓国語のユマ。ふたりの距離はひとつの視界にいれるには微妙に離れているため、ふたりの表情を同時にみて声を聴くことはできなかった。
もどかしさはあったが大きな妨げにはならず、ふたりのリズムにだんだん引き込まれていく。
ほかにも春日茉衣、日ケ久保香、唯一の男性としてミウラケンが舞台に存在する。女性ふたりはノラの台詞を語りながら、ほかの人物の台詞も語る。それは川渕も同様で、とくに後半はノラの夫の台詞も発する。
台詞を語る、発するというまわりくどい表現になるのは、今回の舞台が「俳優が役を演じる」という言い方が非常にしにくい印象があるためである。
当日リーフレット掲載の矢野靖人の挨拶文には、「所謂一般的な『ドラマ』としての起承転結や序破急のある(そしてそれが台詞や対話で紡がれる)タイプの構成方法ではなく、ユニークで新しい物語形式を模索しています」とあり、この理念に基づいて作られた舞台であることはとてもよくわかった。
今回の舞台に限らず、戯曲をはじめとする複数のテキスト(実はテキストということばに自分はまだなじめていない)を切断し、それらの断片を俳優の声と肉体を通して全く別物の、新しいshelfによる「物語」を再構成しようとしているわけだ。
その「物語」は、おそらくつくりてのなかには堅固なものとして存在しているのだと察する。しかし客席において、それをしっかりと受けとめることができたかというと正直なところ心許ない印象であった。前半でいえば川渕優子が「サン・トワ・マミー」を歌うことや、春日茉衣が「今日はクリスマスなんだから」と喜びをあふれさせる台詞を大声で繰り返すことなど、「どこがどうつながるのか」「あまり深く考えなくていいのか」などと、つい考えてしまうのである。
戯曲を解説するために舞台があるのではないから、これまで自分がみた『人形の家』(1)とはまったくべつの視点や切り口に出会えるのは嬉しいことだ。どう受けとめたかを表現する方法もさまざまであり、どうか自由に大胆に作ってほしい。矢野靖人の「劇空間構成力」はすばらしいものがあり、ほかに同じようなことができる演出家を自分は知らない。また川渕優子を筆頭に、矢野の理念をよく理解し、それを身体で表現することのできる俳優の存在も忘れてはならないだろう。
これから『人形の家』の舞台をみるとき、それがどのような演出によるいかなるノラであるかはわからないが、たぶん自分は白い衣裳を着たふたりのノラたちの声や表情を思い出すだろう。ノラは目の前のひとりだけではないのである。
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