*マキタカズオミ作・演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 18日まで(1,2)
公演チラシ、HPともに、新作が臓器移植に関する内容である以外記されていない。平成22年1月17日から臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し優先的に提供する意思を書面により表示でき、同年7月17日から本人の意思が不明であっても、家族の承諾があれば臓器提供ができいるようになる。「そんなごくごく近い未来の世界を描くSF」で、臓器提供者(ドナー編)と臓器受容者(レシピエント編)を同時上演するという。マキタカズオミの作品には、ちょっとやそっとでは思いつかない設定や展開があって緊張が途切れず、観劇前の疲れや空腹や眠気や雑念が吹き飛ばされる。今夜はドナー編を体験した。
舞台は球形で、細い格子が周囲を囲んでいる。上手にドア、正面と下手にも出入りできる作り。中央にデスクと椅子が4脚。下手に小さなデスクと壁に電話がある。上部には斜めに傾いた半円型の木枠のようなものがあって(この装置の説明はむずかしい)、開演前に舞台から得られる情報はほとんどない。客席も開演前のざわめきが少なく、静かである。
執行をまぢかに控えた死刑囚が臓器提供の意思表示をしている。「あの人に提供したい」。その相手とは。死刑囚と彼を担当する刑務官、その妻、死刑囚の被害者家族とその周辺の人々、臓器移植コーディネーターとその母親、死刑囚の家族がドナー編の登場人物だ。いっぱい道具の装置が死刑囚とコーディネーターの面会室や刑務所内の運動場、被害者家族やコーディネーターの自宅、病院の一室などにかわる。抽象的な装置のなかで、それぞれの事情や思いが描かれていく。
当日チラシ掲載のマキタカズオミの挨拶文には「いろいろ説明したいことはありますが、予防線みたいになってしまうので」とあって、まさにその通りだ。自らの死と臓器提供をもって少しでも罪を償い、贖罪の実感を得ようとする者と、その意思をやすやすと受け入れられない者が物語の核であるが、作者はその周辺の人々へも繊細で周到な「予防線」を張りめぐらす。ひとつの場面には2人か、多くて3人しか登場しない。何人もの人々が入り乱れての丁々発止はなく、それぞれのシーンは極めて静かに進行する。法のもとに命を落とす者と、家族を奪われた悲しみに溺れるように苦しむ者と、どちらも「生きたい」と願っている。両者がよりよく生き、少しでも満足して死を迎えるための臓器移植法が、どちらも苦しませてしまう冷酷で救いのない舞台にことばも出ない。まさかの終幕に客席はいよいよ静まりかえり、拍手もなかった。おもては小雨だが真冬のように冷え込んでいる。みおわった舞台の衝撃と寒さでガチガチと歯が鳴った。
しかしうちに帰ってドアを開けたとたんに、変な元気が出てきたのだ。おなかがすいた。ありあわせで夜食を作ってもりもりと食べ、洋服のしみ抜きをし、靴を磨く。今夜みた芝居について、自分が何を書けるかもわからず、不安でたまらないのにわくわくしているのである。この得体のしれない高揚感。レシピエント編をみないわけにはいかなくなった。
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