因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミズノオト・シアターカンパニーPLUS『枝わかれの青い庭で』

2009-04-17 | 舞台
*平松れい子作・演出 引用;ボルヘス著『トレーン、ウクバール、オルビス、テルティウス』 公式サイトはこちら 横浜美術館レクチャールーム 19日まで

 みなとみらい線を降りて地上に上がり、広場を通って横浜美術館のエントランスに着く。贅沢な広さである。今回の会場がなぜ「レクチャールーム」なのか、開演してその理由がわかる。
 自分は初日前日になって電話予約したのだが、当日会場につくと受付はまだだという。開場時刻と同時に受付開始になったが、「予約済み」のリストに自分の名はなかった。「当日精算」だったので、となりの「当日券」の窓口にいけばよかったのだろうか。そのあたりがよくわからない。チケットは無事出してもらえたが、何となくすっきりしない受付であった。滞りなく速やかに進む受付に慣れているせいか、芝居をみる前からやや気が削がれてしまう。

 さて舞台本編である。芝居を上演することだけを目的に作られたスペースではないことが、劇の構造上活かされた場面もあったが、客席にいる身には終始居心地の悪さがつきまとった。冒頭に出演俳優のひとりである下総源太朗と作・演出家の平松れい子の対談(というか前振り)があることに始まり、この作品に向き合う自分の在り方、立ち位置が決められないのである。当日リーフレットによれば、作者は「障害の概念そのものを再提示するような作品づくりを目指し、俳優だけでなくADHD、発達障害、アスペルガー症候群といった方々の対話や共同作業が稽古の基本になっている」とのことだ。普通にみる物語、お芝居とは創作意欲の方向、目指す地点が違うものと思われた。冒頭の前降りから唐突に劇世界に入ることもひとつの試みなのだろうが、充分な効果を上げていたとは思えない。

 正直に言ってしまうと、今回のお目当ては下総源太朗であった。劇作家の筆や翻訳の出来や演出家の腕がまだ充分に発揮されていない作品であっても、下総氏ならかなりのところまで「芝居」として作り上げる力をお持ちである。その様子がみたくて下総氏自身の俳優としての魅力プラス、俳優が戯曲に力を与えて見応えのある舞台を作り上げるところをみたかったのである。だが今回は非常に難しかった。

 作者の目指すところは演劇の枠に留まらず、コミュニケーションに悩みながらもいろいろな人々が共に生きることを探っている。その志と心意気を演劇として提示するにはどうすればよいかをもっと考える必要があるのではないか。舞台は作り手と見る側が同じ時間と空間を共有するものだ。身内や業界の知り合い客やコアな演劇ファンだけでなく、より多くの人々と舞台の世界を共有したいと願うのならば。それは決して「もっと単純でわかりやすい表現にする」ということではない。

 終演後おもてに出ると、雨に煙る暗い広場の向こうに明かりのついた高層ビルが見える。静かで無機的な空気はほかでは見られないシチュエーションであり、通常の劇場のような賑々しさとは違う雰囲気に、今回の作品は合っていると思われる。それだけに残念だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ユニット・トラージ『アチャコ』 | トップ | 因幡屋5月の課題 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事