*服部貴康写真集『ただのいぬ。』より 瀬戸山美咲作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 7月29,30日のみ
昨年秋、みきかせプロジェクトにおいて初演され(1,2)、今回の『彼らの敵』のベースになったリーディング劇が2日間3回上演される。劇場がワーサルシアターから今回のこまばアゴラに変わったことで、照明など演出面に変化はあるものの、戯曲の改訂はない由。
初演からおよそ8カ月、『彼らの敵』とのダブル上演は作り手にとって大変な労苦ではないかと察するが、俳優は疲れもみせず40分間の犬と人との物語を淡々と読む。俳優の演技はより鋭くより深まり、悲しみを湛えながらもいっそう温かなものとなった。
犬と人の共存という内容もさることながら、本作のリーディングという形式は、本式の上演の前段階というより、演劇のもつおもしろさ、旨みを濃厚に示すものである。
俳優が別の人物に扮する。人だけでなく、犬にもなれる。「ワン」や「キャン」くらいしか鳴かない犬の心の声を聞くとき、犬たちが歩く暗い通路の果てにあるもの、はじめて連れて行ってもらった海が見えてくる。目の前には3人の俳優のみ。なのにいろいろなものがみえてくる、聞こえてくる。演劇の醍醐味がぎっしりと詰まった作品なのだ。
終演後、作・演出の瀬戸山美咲と本作に出演し、ドラマタークもつとめた中田顕史郎によるトークが行われた。30分たらずであったが、この時間によって『ファミリアー』を作り手と客席がともに確かめながら味わうことができ、大変有意義であった。
客席から、「年少と小学生の子どもといっしょにみるつもりだったが、かなわなかった。本作の対象年齢はいくつくらいか?」というお母さんからの質問や、同じ方から「(子どもが)舞台の暗闇を怖がったり、犬が突然鳴くのに驚いたりするかもしれない」という懸念を聞いた。
中田顕史郎さんには小学生の娘さんがおり、「娘にみせるのはちょっと」とためらっておられるそうだ。
大ざっぱな言い方をすると、対象年齢は何歳、あるいは何年生からというはっきりしたラインはなくてもいいと思う。40分間じっとしていられない子どもはさすがにむずかしいだろうが、それでも退屈したり怖がったりしながらも、どうにか最後まで完走することができるかもしれない。その子ども一人ひとりの適性があり、子どもの状態は日によって違うので、だいじょうぶと安心していた子が機嫌をわるくしたり、心配でならない子がびっくりするほど集中していたりもする。
年齢にかかわらず、その子どもの感覚によって幼いなりに何かを捉え、感じとることはできる。逆にいいトシの大人が無反応の場合もありうる。
思い切って子どもをお芝居に誘ってみては?突拍子もない反応やとんちんかんな感想を言うこともあろうが、そこでがっくりしない。いつか気づく日が訪れる。演劇は作るのもみるのも根気がいるのだ。
「演劇は最初の出会いが悪いと以後一切が受けつけられなくなる」と語った劇作家がいたが、そのとおりだ。子どもを芝居好きにするかしないかは、一種の賭けである。芝居に向かない子どももいる。無理強いはよくない。しかし『ファミリアー』は、その賭けにじゅうぶん値する作品だ。何より、「誰かといっしょにみたい」という気持ちを強く掻きたてる。
子どもといっしょの観劇は、大人にも大変な気遣いや気兼ね、ストレスをもたらすが、それを上まわる喜びや幸せがきっと与えられるのではないだろうか。
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