今月心に強く残った舞台は以下の通りです。
*劇団文化座創立70周年記念『獅子』
*風琴工房code.30『Archives of Leviathan』
*shelf volume12『構成・イプセン-Composition/Ibsen』
舞台以外では、シアターアーツ主催の劇評講座『劇評って何だろうか・・・・・・』と「古典戯曲を読む会」に参加いたしました。前者は演劇批評誌「シアターアーツ」主催のシンポジウムです。
演劇評論家で第三次シアターアーツ編集長の西堂行人氏の司会により、20~30代の若手から40代のベテラン編集員に、演劇ジャーナリストの徳永京子氏、現代演劇ウォッチャーの高野しのぶ氏をゲストに迎えて、タイトルのとおり劇評について考えるもの。参加者は15名弱だったでしょうか。
自分は朝日新聞に掲載される徳永さんの劇評をいつも楽しみに拝読しておりますが、それは批評の切り口が新鮮で率直であり、読みやすいからです。シンポジウムでのお話も、その文章と同じように具体的でわかりやすく、納得のいくものでした。大収穫です。
日曜の夜に150分ノンストップの議論にはさすがに疲労困憊。
いや消耗したのは時間の長さや昼間の疲れのためではありません。
劇評に対するとらえ方、批評の姿勢のちがいを、「みんなちがってみんないい」と明るく前向きに考えられず、徳永京子さんが朝日新聞紙面において、ご自分の肩書を演劇ライターから演劇ジャーナリストとしたいきさつや、みずからを劇評家と名乗らない理由について、「アカデミズムの壁」という表現をされておりましたが、その感覚に近いのかもしれません。
違和感、居心地のわるさ、自分の勉強不足や劇評を書く上での適性や能力の欠如を自覚するのは楽しいものではありません。自分にできることと目指すこととの距離、それに近づく方法を試行錯誤しながら続けていくだけで、自虐的に落ち込むのは生産的ではありませんが、やはりあの場において顔をあげて立ちあがるには、いまの自分はまだまだ脆弱です。
そのなかで前述のように、徳永さんのお話には勇気が与えられました。
『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』の著者・中島岳志氏のインタヴュー(朝日新聞10月27日付)を興味深く読みました。本書執筆にあたって意識したのは「普通の人が読めるもの」であり、「ある一定の読者にとってしかなじみのない言語体系ではなく(略)」そして、「わかりやすさというのは単純化とは違う」とのこと。
自分の作っている通信やブログには、編集者という客観的でシビアな存在はありません。自由に書けるメリットを楽しみつつ、読んでくださる方の存在をこれまで以上に意識しなければと思います。通信を手にとって、ブログにアクセスしてくださった方には舞台の作り手、お客さん、そのなかにも既にその舞台をみたことのある方、これからみるかもわからない方などさまざまでしょう。読んでくださった方に、何らかの生産的なもの、建設的なものを生みだせることを願って、頭を働かせ、からだを動かし、心を尽くして、これからも書いていきます。
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