因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

JAM SESSION 9『女の平和』

2009-02-14 | 舞台
*アリストパネス作 西沢栄治演出 公式サイトはこちら 下北沢「劇」小劇場 22日まで
 西沢栄治(これまでの舞台評はこちら→1,2,3,4,5,6,7,8)
が当日リーフレットに書く一文を読むと、いつも力が沸いてくる。何度も書いていることだが、第6回公演『罪と罰』での「演劇は役に立つ」、この一言は自分にとってまさに勇気を与えられると同時に、演劇をみる側(そして拙いながら劇評を書くものとして)いよいよ深みにはまって逃れられなくなった殺し文句でもあったのである。
 戦争をやめない男たちに業を煮やした女たちが結託して床断ち(○○ストライキという言葉を使いたくないのです)を宣言する。うっかりすると下ネタ満載で、笑い飛ばしながら男女の性の悦びを大らかに言祝ぐような古代ギリシャの物語。
 今回の西沢の殺し文句はこうである。
 「演劇は無力です。けれど演劇には力がある。
  世界はかわる。
  みてろよアリストパネス」
 西沢の訴えることは同じだが、やはり自分はぐらっときてしまった。遥か昔の異国の劇作家に戦いを挑む心意気やよし。負けるな西沢栄治。
 女性陣は美しい和服を身に纏っている。色使いや髪型も女優さんそれぞれにとてもよく似合っており、生き生きして魅力的だ。それに比べると男性陣は、女房たちにやりこめられるという設定もあるが、どうもぱっとしない。そのせいか、男たちが営みを断たれて苦しむのはまだしも、女たちもまた男に抱かれたい気持ちとからだを必死で抑えるという点がしっくりこない。戦争が起こること、続くことはさまざまに入り組んだ複雑な問題があって、そう簡単にやめられるものではない。アリストパネスはそれを充分承知の上で、敢えて単純に喜劇的な設定を作り、戦乱の中にあってからりと笑える劇にしたのではないかと思うが、物語のベースとして夫と妻は愛し合っており、その営みは神の前で誓いをかわした夫婦のあいだだけで行われることが双方の了解事項になっていることにも、夫婦間のセックスレス(ほかの言い方はないのか)や、もっと話を広げれば「婚活」という言葉が生まれてしまう世相を考えると、いよいよ違和感を覚えるのだった。

 ときどきものすごく単純なことを考える。お父さんが会社で元気に働く姿をみれば、お母さんも幸せだ。そんな両親をみれば子どもも嬉しいだろう。会社と家庭が幸せならば、その町がその国が、世界が幸せになれるのではないか。

 以前因幡屋通信に西沢の言葉「演劇は役に立つ」を引用した文章を書いたところ、それを読んだ友人から「よくわからない」という感想があった。西沢の真意や自分が彼の言葉を引用した意図が伝わらないのは、偏に自分の筆が拙いせいである。何とか伝えたい。彼の言葉に、彼が頑固なまでに演劇の力を信じて作品にぶつかっていく様子に、自分がどれだけ刺激を受け、勇気を与えられているかを。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あひるなんちゃら『フェブリー』 | トップ | 劇団掘出者第6回公演『誰』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事