因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『新型 開運ラジオ』

2006-11-19 | 舞台
*アル☆カンパニー第2回公演 平田俊子作 平田満演出 SPACE雑遊 公演は19日で終了 公式サイトはこちら
 2001年春に龍昇企画の『甘い傷』をみて大変おもしろく、すぐ戯曲本も購入した。これに併録されているのが『開運ラジオ』である。登場人物は女ABCの3人のみ、「この芝居には特別の装置はいらない。」と但し書きされているまことにシンプルなものである。野原にあるエレベーターに乗ろうとする女とエレベーターガールのような女のやりとりに始まり、どこかのお屋敷の老女と双子の女の子のティータイム、嫁と姑、ある女とその分身たちとの会話がつながっているようなとぎれているような微妙な調子で続いていく。とても楽しく読めたので、今回の公演を心待ちにしていた。いったいどんな舞台になるのだろうか?

 劇場に入って驚いた。ほんとうに何もない。まさに裸舞台である。3人の女(井出みな子、黒木美奈子、井上加奈子)は白地に淡い色のグラデーションに染められた色違いのワンピースを着ている。ワンピースの裾からはときどき可愛いレースのついたズロースが見える。

 冒頭のエレベーターのやりとりから何とも表現しがたい違和感を覚え、それが最後まで続いた。わずか90分の芝居なのに集中できず、何度も睡魔に襲われることに。台詞をしっかり覚えるほど戯曲を読み込んでいるわけではないし、観劇前に読み返すことができなかったので、今回の観劇は「知った話をみにいく」のではなく、新鮮な気持ちで臨めたはずである。だが舞台をみていても気持ちが弾まなかった。

 改めて戯曲を読み返してみて、自分がおもしろいと感じたのは以下のような箇所だったのである。例えば冒頭のエレベーターの場面、女Aは女Bに自分の汗をふいてほしいと言う。それも女Bのハンカチで。ト書きにはこうある。「B、いやだと思うが、断る度胸がない。そういう人は必然的にふくことになる」。このト書きから女Bがどんな表情をするか、考えただけでもおかしい。次に姑が道のアリを指でつぶすたびになぜか嫁のおなかが痛みだす場面。何匹かアリをつぶした姑が嫁に呼びかけると、嫁は答えず「(絶命している)」箇所。「絶命」という語感が、何だかすごいではないか。嫁はいったいどんな様子で倒れれば、「絶命」という響きを表現できるのだろうか。そんなことを想像しながら戯曲を読むのがおもしろくてならなかったのだ。

 もしかすると、自分は『開運ラジオ』のみかたを、いや読み方を間違ったのかもしれない。一見シンプルであっても実に手強い戯曲である。装置もいらない、何の指定もないからこそ、俳優がどんな衣装を身につけるかでさえ、必要以上に意味を持ってしまう可能性もあるからである。しかし同時に奥行きの深い、柔軟な戯曲でもある。富田靖子、深津絵里、小島聖などの若手が演じるのもおもしろいのではないか。観劇後は残念な気持ちで落ち込んだが、また少し希望がわいてきた。やはり戯曲を読むのはおもしろい。
 

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