公式サイトはこちら 新橋演舞場 26日まで
いまだに清々しく思いだされるのは1998年1月、十五代目片岡仁左衛門の襲名披露公演である。役者が先祖からの名前を受け継ぐことを、歌舞伎界はもちろん、客席もともに喜び祝うの幸せを味わうことができた。呼びなれた名前がなくなるのは淋しいが、けれどいつのまにか新しい名をずっと以前から呼んでいたような不思議な気持ち。そのあとの市川新之助が海老蔵に、中村勘九郎が勘三郎になるときもそうだった。
観客としていささか襲名慣れしてしまったかなと案じたが、父親が四十年以上名のり、大きくした中村勘九郎を、まじめでがんばり屋の勘太郎が受け継ぐと思うと、何だか自分まで晴れがましく嬉しい。やはりいいものだなと思った。
夜の部の目玉は、新・勘九郎にとってこれが2度めになる『春興鏡獅子』だ。本作については踊り手の新・勘九郎自身が詳しく語ったサイトがある。
はじめてこの舞踊をみたのは前述の十五代目仁左衛門襲名披露のおりに、父の勘九郎(現・勘三郎)が勤めたときだ。「よくわからないが、すごい踊りをみた」とぞくぞくしたのを思い出す。
そして忘れられないのが2000年4月の歌舞伎座で、18歳の勘太郎(新・勘九郎 だんだんややこしくなってきました)が初役で踊った舞台である。あの夜仕事を終えて、ひと幕見の列に走った。4階から舞台ははるか遠いが、そのかわり劇場ぜんたいの空気はいちばんよくわかる。
勘太郎の踊り、とくに後シテで力いっぱいの毛振りをするすがたに客席は熱狂した。いや総立ちになったりなどしないのだけれども、勘太郎がんばれ、勘太郎踊り抜け!と応援する熱気のるつぼと化したのである。こんなことははじめてで、幕が下りてからとなりの知らない女性とすごかったですねぇ、お父さんよりいいわねぇと盛りあがった。まるで自分が全力疾走したかのようにはぁはぁと呼吸が早くなるとは、鏡獅子の魅力、とくに毛振りというのはみる人の心をこれほどまでに掻き立てるものなのですね。
前シテのお小姓弥生は控えめで堪える踊り。それが祭壇の獅子頭を手にすると蝶が戯れて獅子頭が動き出し、弥生は狂ったかのように引きずられていく。胡蝶の精の可愛らしい踊りのあとは、後シテの獅子として登場。勇壮な毛振りが客席を熱くする。初役のときと比べて・・・という見方は自分にはできないが、この舞踊が中村屋にとって大切な演目であり、踊り手にとって並大抵ではないむずかしさや辛さがあっても、それらはすべて客席にとってはこちらの気がどうかなってしまいそうになるくらいの高揚感を与えてくれるものであることを実感した。
勘九郎の襲名に沸く劇場だが、弟の七之助のことも心に覚えてしっかりとみておきたい。『鏡獅子』においても裃後見を立派に勤めており、頼もしい限り。
好きな役者、気になる俳優さんはたくさんいるが、新・勘九郎ほどがんばれ、踊り抜け、演じ切れ!と心から応援してしまう役者は、そうはいません。運動会で、グラウンドと見物席を仕切るロープを思わず超えたくなる衝動に近いだろう。
テレビの特番でみていたやんちゃな勘太郎・七之助きょうだいがいつのまにか立派で素敵な大人の役者になった。それだけこちらが年をとったということなのだが、歌舞伎の楽しみは円熟の役者芸を押しいただくようにみることもあるし、小さな人たちが一歩一歩成長するすがたを数十年レベルで見続けることにもある。
この世で舞台をみる人生がいつまで与えられるかはわからないが、できれば少しでも長く、と願うのは、こういうときなのだ。
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