*山崎洋平脚本そして演出(原文ママ) 公式サイトはこちら 下北沢/本多劇場 6日で終了
この地元の匂いが漂う劇団名を知ったのはいつごろからだろう。
これまでの公演のチラシも目を惹くものであったと記憶する。当日パンフレット(別に有料500円のものあり)掲載の挨拶文には、主宰の山崎洋平が2006年9月、東北から上京して5ヶ月後、はじめて本多劇場で観劇したときの喜び、いつか自分の作品をここで上演したいと夢を抱いたことが生き生きと記されている。
そして2008年11月、江古田のガールズを旗上げし、第18回公演を本多劇場で上演の運びとなったわけである。旗揚げから「5年8ヶ月と5日経過した。2074日経過した」(挨拶文より)。
自分は今回が江古田のガールズ初見のため、来し方である2000日あまりは想像するしかないが、学生時代に旗上げした劇団が活動を継続していること、あまたある劇場のなかで下北沢の本多劇場で公演を行うとは、そう容易なことではないだろう。
80年代には新宿の紀伊国屋ホールが「演劇すごろく」のアガリという認識があった。むろん夢の遊眠社、劇団新感線など、破竹の勢いの劇団はさらに大きな劇場に進出していったわけであるが、かつての若手演劇人が集客を増やすこと、その結果としてより収容人数の多い劇場に進出していくことが、劇団の目指すところであるという認識があった。
7月24日朝日新聞夕刊に紀伊國屋ホールが誕生して50年の記事があり、劇作家・演出家の鴻上尚史が「ステータスというか、憧れの場所でしたね」と語っていることに、観客の立場からも共感できる。
しかし2005年からはじまった自分の小劇場観劇を振りかえると、関わる演劇人たちの目的は、80年代とは異なるのではないかとの印象をもつ。もちろんひとりでも多くのお客さまにみていただきたいという思いは強い。しかしそれが「大きな劇場で公演を行う」ことに直結しているのだろうか。自分たちのやりたい芝居をとことん探求する。劇団の枠を越えて、多くの俳優や演出家が縦横無尽に交わり、個人ユニットを立ち上げ、プロデュース公演を行う。より柔軟でしたたかな印象である。
それで今回の江古田のガールズ本多劇場初公演であるが、かつての紀伊國屋ホールに対する感覚が本多劇場にスライドしたというより、何かひと癖もふた癖もありそうである・・・。
開演前から場内に劇団員がパンフレット販売を行っており、本番を控えながらも余裕が感じられる。開演が15分近く遅れたのは、受付業務が長引いてしまったためと思われる。客席が数十、100人前後の劇場ならともかく、400人近い劇場で、おそらく訪れる観客の多くがインターネットでチケットを申し込み、当日受付精算を行うのであるから時間がかかる。受付時間を早めるか、受付スタッフの人数を増やすか、一考が必要であった。
開演の遅れとともに、観客ぜんいんに「芝居で使うから」といって風船が手渡されたり、立ち上がって背伸びするように勧められたりなどの「前説」があることにも、自分は大いに気持ちが削がれた。そしてはじまった舞台には、猿のかっこうをした俳優がぞくぞくと登場する。猿のボスに子どもが生まれようとしているらしい。群読の台詞に聴きとりにくい箇所が散見する。お猿の芝居のクライマックスで、渡された風船を膨らませるよう指示がある。前から4列めまでの客席下にはビニール袋にはいったものが仕込まれており、そこに入っている「猿のえさ」を舞台に撒いてくださいとのこと。舞台は餌だらけ。
前説を行う、観客にいろいろとやらせる、舞台を汚す。自分の避けたいことが3ついっぺんに襲いかかってきたうえに、お猿の芝居はちっともおもしろくない。来たことを後悔し、本気で帰ろうと思った。
しかし序幕のつまづきから自分は立ち直り、舞台を楽しむことができたのである。芝居の構成は、お猿の物語を本多劇場で上演している劇団があり、本番中に主演俳優がけがをしたために、翌日の公演が危ぶまれている、どうやって切り抜けるか・・・という、いわゆる「ショー・マスト・ゴー・オン」である。バックステージものには、三谷幸喜のまさに『ショー・マスト・ゴー・オン』、ロナルド・ハーウッドの『ドレッサー』などあまたあり、本作もその系列に連なる作品、と言えなくもない。
とことばが鈍るのは、これほど彼らが悪戦苦闘している舞台が、初日の観客のアンケートで酷評されていたりなど、どうみてもおもしろそうにないこと、何よりその芝居を劇のはじめに、非常に重要な劇の冒頭で、じっさいに見せてしまっているためである。どうしてこのお粗末な芝居にここまで執着するのか。
本作の狙いは、既成のバックステージものとはちがうところにある。演劇に命をかける人々の汗と涙の感動ものになりそうになってくると、それまでの流れをあっさりと壊したりする。たとえばアンケートの酷評を読んで、俳優たちがみんな泣いているという台詞のあとに、様子を確認してきた制作スタッフが、「みんな普通でした」と言いに来る。単純ではないのである。
作者にがんばって演劇を作るところをあまりストレートにみせたくない照れがあるのか、もしかすると、既成概念を乗り越えて、もっとおもしろい舞台を作るという自信や心意気があるのではなかろうか。舞台を汚すことに対して、「劇場からNGが出ました。このあとは加藤健一事務所が公演するからって」と、「そうだな、加藤健一事務所には逆らえない」と現実のことを台詞にじゃんじゃん織り込む。しかし実際に加藤健一事務所スタジオKを稽古場に使うなど(当日パンフ掲載)、確信犯的なところもあって、しかもそれらがあざとくないところに唸らされるのだ。
それでもやはり冒頭のお猿の芝居はなくてもよい。バックステージでの本編において、台詞のなかにいかにお粗末な芝居であるかを効果的に、しかもあざとくなく織り込み、観客にわくわくと想像させるだけの力を、山崎さんは持っているはず。
カーテンコールでは30人を越える俳優ぜんいんをテンポよく紹介していく。俳優のダンスで幕を閉じるのが恒例らしく、カーテンコールも結構長いわ紙吹雪はどっさり落ちてくるわ、ここまでしなくてもと思うが、いやもう好きなだけ!という気持ちになるのは、まさに江古田のガールズマジックであろう。
猛暑の下北沢、あこがれの本多劇場で夢をかなえた若い演劇人のつぎの2074日を楽しみにしている。
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