因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

Quaras企画『阿修羅のごとく』

2013-01-25 | 舞台

*向田邦子原作 瀬戸山美咲上演台本 松本祐子演出 公式サイトはこちら ル・テアトル銀座 29日まで その後大阪、名古屋を巡演
 1979年、翌年にパート2が和田勉演出で放映されたテレビドラマはいまでも鮮明な記憶として残っており、自分にとっては単なる思い出ではなく、51歳の若さで飛行機事故死した向田邦子そのもののように存在する大切なものだ。台詞のひとことが、シーンのひとつひとつ、俳優の表情や声、いっしょにみていた家族のようすなど、内容が内容だけに楽しく心温まるとは言えないものの、いやそれだけに家族ではじめてみた「男と女」「性」のドラマの印象は強烈で、ことばでは言い尽くせないほど大切なものなのだ。
 それが舞台化される。手ばなしで喜べなかった。あのドラマをどうやって板に乗せるのか。楽しみよりは不安、ずばり言えば不信がわきおこる。

 舞台化はこれがはじめてではないそうだが、今回は上演台本に若手の社会派女性劇作家として注目度の高い瀬戸山美咲を起用し、演出にも松本祐子という女性のつくりてに委ねることになった。パートⅠが3話、パートⅡが4話のあわせて7話にわたる物語が、休憩をはさんでおよそ2時間15分の舞台になった。中央の座敷が四姉妹の実家、下手に長女綱子の家、その上に次女巻子のリビング、下手なかほどに四女咲子のアパート、下手ぎりぎりに三女滝子のアパートのドアというつくり。5つに分割された空間は独立しているが、ときにはただの通路になったり別空間に変化したりする。中央に電信柱があり、ゆるやかな坂道がつづく。登場人物は複数の空間を動きながら、テンポよく物語をすすめてゆく。

 瀬戸山美咲の上演台本についていえば、シーンのたくさんあるテレビドラマを2時間15分の舞台にまとめあげた手腕はみごとなものである。公演パンフレットにおいて、瀬戸山は「一文字一文字写しながら、向田さんのリズムをからだに刻みました」、「立ち止まったときは原作を隅から隅まで読みかえしました」と記しており、まさに心血を注ぐ作業であったと想像する。
 ドラマにあった小さな場面、ほんのひとことだが向田邦子の世界のエッセンスを感じさせることばをここぞという場面に使っていたり(すき焼きの「じゃがいも」)、向田邦子の作品への素直な敬愛とともに、劇作家としての経験値を活かした心にくい場面が随所に見受けられる。
 父親役の林隆三も「感嘆した」とパンフレットのインタヴューで上演台本を称賛しており、出演者の信頼が得られたことがわかる。ほんとうによかった。

 とすれば問題は演出、それを体現する俳優の演技である。「テンポよくすすめてゆく」と書いたものの、スピーディな展開はいささか慌ただしく、総じて声を大きく張り上げる台詞にはふくらみや陰影が乏しい。
 ささやき声では台詞が聞こえず、細かい表情の変化はみえない。大きな劇場で上演するときにむずかしい点である。しかしそれらのデメリットを克服するための方法として、声を大きくしたり、演技を大仰にすることが有効なのだろうか。それを象徴するのが長女綱子役の浅野温子の演技で、立ち振る舞いのなかに生け花の師匠らしいものが感じられなかった。デメリットをメリットに転化する方法があるはず。
 総じて旗色のわるい男性陣のなかで、次女巻子の夫役の大高洋夫はいわば「もうけ役」で、妻をふくめ四姉妹たちのあいだを泳ぎながら、自分の足元を決して見失わない。欲をいえば妻たちの留守に義父とふたり焚火にあたりながら、「火のないところに煙が立ってるんじゃないですか」の名台詞を聞きたかったが。
 反面、少し気の毒だったのが林隆三演じる父親である。出番が少ないのはいたしかたないのだが、しどころがないというのか。たとえば四女咲子が植物状態になった夫と病室で同衾しようとし、検温の看護婦を父親が阻む場面、あそこまで腰を低くさせなくてもよいのではないか。

 新聞の投書記事を四姉妹がそれぞれの家で割り台詞ののち、群唱する場面は、舞台のための工夫がうまくなされていて(林隆三も指摘している)、とてもおもしろい。このような舞台ならではのつくりを前面に出すことはむずかしかったのだろうか。
 終幕、みながにぎやかに白菜漬けをする場面で、男たちが「女は阿修羅だ」と話し、女たちが「何か言った?」と聞くところ。いや、もっとぞくぞくほど魅力的なシーンが可能なのではないか。

 しかし今回の舞台は、テレビドラマ作品の舞台化におけるさまざまな可能性や魅力を感じさせた。原作者の妹であるエッセイストの向田和子さんが「昭和のオリジナルにしばられることなく、今の平成のみなさんの感性で演じていただきたい」とパンフレットで語ったように、原作の魅力をじゅうぶんに活かしながら、劇作家や演出家、俳優の個性を大胆に展開、あるいは巧妙にすべりこませ、これは舞台でなければ味わえない!と観客を魅了する作品が生まれることを願っている。

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