因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団劇作家「劇読み!Vol.5 13人いる!」よりSプロ『ナチュラル女子高生ライフ』&『トマト』&『

2014-01-26 | 舞台

 今回は「劇読み!」はじめての試みとして短編作品を広く公募、劇団劇作家の審査によって選ばれた以下の3作品が、山本健翔(劇舎カナリア)の演出でお披露目の運びとなった。(1,2,3,4,5,6,7)
①『ナチュラル女子高生ライフ』
 作者のみやびは大学で心理学を学ぶ現役の女子大生だ。
②『トマト』
 太田衣緒は劇団宇宙堂(現:オフィス3〇〇)を退団後、演劇母体「連跿(レンズ)」を旗揚げし、作・演出・主宰をつとめる。
③『55階のクリニック』
 まつうらみらいは映像のシナリオの公募作品が入選や佳作に選ばれ、30代でデヴュー。子育てなどの休業を経て、現在は劇作家協会戯曲セミナーを受講中である。

 作者のプロフィールだけで非常にドラマチックであり、まさに三者三様の作品のお披露目となった。終演後、劇団代表の篠原久美子の司会進行で、この3人の劇作家+本公演の『五臓六腑色懺悔』作者の校倉元、『冥土喫茶』作者の佐藤喜久子、演出の山本健翔によるトークショーが行われた。

①『ナチュラル女子高生ライフ』
 タイトルのとおり、お母さんの作ってくれるお弁当、水筒にお茶をいれて慌ただしく登校する女子高生の日常がテンポよく点描される。主人公を軸に友だちや両親、弟、学校の先生などが目まぐるしく出入りする。ときおり両手をパチンと鳴らし、それを合図にト書きが読まれ、場面が変わったり人物が動いたりする。
 トークのとき、山本健翔が「今回はあらだちをして」と言っておられた。自分は不勉強にてはじめて聞くことばだったのだが、「荒立ち」と書き、稽古の一工程のひとつなのですね。
 台本を手に持ったままで両手を打ち鳴らすというのは、あんがいとむずかしい動作なのではないだろうか。俳優さんのなかにはそのときだけ台本を小脇にはさんだりしておられたが、ぎくしゃくした様子にみえたことはたしかである。

②『トマト』
 タイトルはシンプルだが、じりじりと太陽が照りつけるなか、涼しげに眠る死者をはさんで男女が死者が腹に抱える真っ赤なトマトの所有を主張して睨みあうというシュールな作品だ。はじめてみる作品や作者のばあい、舞台にどのように接していくかがむずかしくもあり、そこにこそおもしろさもあるのだが、どうもここで失敗したようである。観念的な作品という捉え方になってしまった。

③『55階のクリニック』
 都会の高層ビルにある美容整形外科の待合室に偶然居合わせた女性3人がおしゃべりをする。初対面の緊張がほぐれるまで相手の様子を伺いながら近づいたり離れたり、何かのはずみで一気に打ちとけて、ここに来た理由を語りはじめる。人生の縮図。
 Eプロ『母のブラウス』に出演した藤あゆみが再び登場し、それだけでにこにこしたくなる。
 叔母の安子(藤)に、姪の仁美(小林あや)が付き添っている。安子が椅子にかけ、仁美がかたわらに立って、譜面台のようなものに置かれた台本をめくっているのは、もしかして藤あゆみさんの体調が・・・と思ったのだが、室内楽に見立てた演出の仕掛けだったようだ。
 もうひとりの女性はみるからにお金持ち風の里子(清水ひろみ)で、質素な暮らし向きらしい安子と仁美が、それも地上55階の美容クリニックで顔を合わせることになったのかという人生の不思議と妙、偶然の出会いによってこれからの暮らしにもしかしたらもたらされるであろう微かな希望が伝わってくる。
 劇の終盤、里子が「あとで連絡先教えてね」と言って先に診察室にはいる。ふたりだけになった病室ではじめてことば少なく明かされる安子の事情に胸が迫った。深い事情まではわからない。どこにでもいそうな女性の心の奥底に、どんな闇や苦しみが潜んでいるのか。
 映像のシナリオ出身の作者らしく、これがラジオドラマだったらさぞかしと思われた。ただ本式の上演となった場合、短い作品とはいえ「演劇」としてどこまで観客の気持ちを引きつけておけるかは、むずかしいところであろう。

 劇団劇作家では、ひとつの作品に対して合評会や選考会を繰り返し、その厳しい過程を乗り越えてGOサインを得た作品だけが、この「劇読み!」で上演されるのだそうだ。代表の篠原久美子いわく「戯曲は勉強しすぎるということはありません」。またこの公演に関わる俳優や演出家、美術や照明、音響のスタッフには、「戯曲をきちんと読み込める方々にお願いしている」とのこと。
 劇作家は精魂込めて戯曲を書く。しかしそれはある意味で不完全なものであり、多くの人の手を経て、観客の前に示されてはじめて成立するものだ。俳優の演技や演出の手腕が際立つことは、本公演の目指すものではない。
 試演会ではもちろんなく、リーディング公演のくくりに収まることもなく、「劇読みという、ひとつのジャンルではないか」という認識と評価に至ったのは、日々研鑽を積む劇作家、旗上げから今日まで地道な活動を継続してきた劇団劇作家の志の強さと高さ、それを保ち続ける試行錯誤が結実したことの証左であろう。
 みる者は、それに応えなければならないと、寒さばかりでなく身の引き締まる思いであった。

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