タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

火の神・水の神・穀霊神・・・

2022-09-06 20:51:16 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

インドの神々は、「人の神」を除けば、「鳥獣の神」「自然神」のイメージです。

特に、自然神の場合、「火の神」「水の神」「暴風雨 (ルドラ) 」など、「神」と言っても、「自然の営み」そのものではないかと思える神も多い気がします。

対して、八百万の神々の日本の古神道でも、

「火の神」「水の神」「雷の神」「風の神」と、いろいろありますが・・・

元々は・・・インドと同じく、「自然の営み」そのものだった神に、

時代を経るごとに、

「実在の人の神をそれぞれ充てて」いって、現在は、

「人の神」として祀られるようになっていったのではないかと推察します。

ですから、同じ「火の神」と言っても、インドでは「火神アグニ」は、「火」そのもの。または、「火天の真言」「ウスサマ明王真言」そのものであるのに対し、

日本の「火の神」は、神道では「実在の人の神」。「水の神」も、元は「自然神」だったのが、現在では「実在の人の神」。

「穀霊神・・・稲荷の神」も、元々は「穀霊」そのものが神だったのが、時代を経るごとに、「実在の人の神・・・農業指導に長けた首長クラスの方々が稲荷の神」として祀られ変化していったのだと、私は思います。

こういう違いが日印ではあるのかなと思います。私論です。

ではまた。

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「古代日本」誕生の謎・・・

2022-09-06 20:24:41 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

お勧め本です。

武光 誠 著「古代日本誕生の謎」「誰が天照大神を女神に変えたのか (PHP新書)  」

鵜飼秀徳 著「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書) 」

いずれも堅い本です。

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ア・バ・ウン・・・

2022-09-06 17:36:11 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

「東方に降三世夜叉明王すいじゃくといっぱ? ~~降臨?まします各々8万4千の眷属を~~~こんごうた!・・・・・ア・バ・ウン!」勢いよく矢が天目がけて飛んで行く。

真言や天台などの密教寺院で修される「柴灯護摩 (さいとうごま。天台宗では、採灯護摩) 」。

火渡りなどとも称され、聴衆受けします。

ただ、東西南北の結界を張る作法?なのか、よくわかりませんが、「法弓作法」「法斧作法」とか「法剣作法」とか、色々行者がやっています。

中には、「初めて参加した人」もいて、法弓作法で「東方に降三世明王・・・・・ア・バ・ウン!」勢いよく弓が天目がけて飛んで行くところ・・・矢が、「ひょろひょろ・・・ぽたん・・・」と、すぐ先に落下することもあります。

そういう時、参拝者は「くすくす」と笑っています。

ほのぼのとした光景であります。

柴燈護摩のクライマックスは、火渡りですが、たいてい、熱くないことが多いのです。

しかし、中には、「うちのはホントに熱いぞ」と豪語する寺院もあります。

鳥取県の三佛寺 (国宝・投入堂) と、奈良県の信貴山・朝護孫子寺は、自信もって言ってました。

信貴山では、最後に火渡りした行者が、「いええええええいっ!」抜身の真剣で、竹を「スパーンっ!」と切り倒してました。

私は、岡山県倉敷市の由加山・蓮台寺で火渡りしたことがあります。

一般参拝者の渡る時は、火傷しないよう、火をかなり抑えてくれていたので、「温い」感じでした。

上の「ア・バ・ウン」は、梵語の「ア」「バ」「ウン」だと思いますが、さだかではありません。

行者が大きな声で唱えるのが、「ア」「バ」「ウン」と聞こえるので、そう表記したのであります。

柴燈護摩は、修験者 (行者) に扮した僧侶たちが行じる場合が多いですが、実際の修験者が多数参加する場合もあります。大峯などでは、僧侶 兼 修験者の場合もあります。

愛媛の石鎚修験の行者は、結構、腰が決まっている行者もいます。

「ア」 「バ」 「ウーーンっっ!」

「りーん ぴょーう とーう しゃー かーい ちーん れーつ ざーい ぜえぇぇぇんっ・・・えぇぇいっっ!」九字も横縦真っすぐブレずに切っていたりします。

「この行者、空手か剣道か、なにか武道やってたんじゃないかな」と思えるくらい、足と腰が安定している人もいます。

昔、仏教新聞大手の記者から聞いた話では、修験は、

「吉野大峯」「出羽」「石鎚」を日本三大修験と言う場合と、「吉野大峯」「石鎚」「鳥取の三佛寺」を言う場合とある・・・らしいです。

修験の霊地は、行者の事故は聞いたことありませんが、物見遊山の観光客が滑落して死ぬことは・・・あるみたいです。

神仏の霊場霊山では、「草木・石その他一切取ってはいけない。持って帰ってはいけない」と言う掟があると・・・昔の説話集に書いてあるのを読んで・・・私も昔、石鎚山系の行場で、同行していた行者兼僧侶に、「この石、きれいなので持って帰っていいですかね~」と聞いて、「ああええよー」と言われたので2個持って帰ってたんです。後々に、上記の掟を知り、石鎚神社さま宛に、訳を書いて謝罪し、「石を石鎚大神さまにお返ししますので、よろしくお願いいたします」と記し、3万円くらいの初穂料添えて送金しました。

後、石鎚神社様から、「あいさつ文と、石鎚大神さまへ初穂料お供えし、無事、石も石鎚の地にお返しし、石鎚大神さまへご報告しました」旨の返信と謝礼 (石鎚神社御神札・お皿) をいただきました。

同じ神仏をお祀りしていても、「大峯吉野」「三佛寺」「石鎚」では、それぞれ雰囲気が違います。共通点は「水がきれい」なところです。

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大歳稲荷神社・・・

2022-09-06 07:41:00 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

かつて広島県の山県郡北広島町古保利と言うところに行ったとき、大きな地図案内板に、「古保利薬師」と言うところがあったので行ってみました。

かつて真言宗の寺院だった跡地に、仏像収蔵庫があり、有料ですが拝観しました。

廃寺になった原因は知りませんが、かつて江戸初期、安芸国藩主・福島正紀は、天台宗を全て浄土真宗に強制改宗させ、真言や禅宗、日蓮宗なども浄土真宗に改宗させた歴史があると、広島県のお坊さんから聞いたことがあります。

改宗に従わなかった寺は、寺領を没収されて規模小さくなって残ったと言います。

この、北広島町と言う所も、安芸国に該当するのかは知りません。

かつては大きな寺院だったみたいです。仏像も、廃寺となり、収蔵展示されている割には、「オーラ」出てました。不思議です。地元の人々が大切にしてたのでしょうか?

それよりも、境内に、「大歳稲荷神社」と言う、小さな鎮守社があり、強い「神気」が出ていました。

短い時間の滞在でしたが、不思議な体験をしました。

今から10数年前のことだと思います。

広島県山県郡北広島町古保利224

・・・今日は、玄関先に、久しぶりに「ミニ蛾」さんがやって来てました。

ドア開けると、3ミリくらいの小さな白っぽい蛾が見えて、元気に飛んで行きました。

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