東大阪市の「石切劔箭神社 (いしきりつるぎやじんじゃ 石切神社) 」の、絵馬殿の左右に安置されている大きな「御神像」。
一体は剣を持ち、一体は弓矢を持っているため、私も含めて氏子参拝者は、どちらかが「ニギハヤヒノミコト」で、どちらかが「ウマシマチノミコト (ウマシマデノミコト) 」だと思っています。
しかし、この御神像は、「随神像」なのです。すなわち、ニギハヤヒノミコトにつき従ってきた護衛の神の像。
石切神社・社報誌「いしきりさん VOL52」より。
「 ・・・随神とは、御祭神や社殿、境内を守る神様のことを指します。 矢大神 (やだいしん) ・ 左大神 (さだいしん) ・ 門守神 (かどもりのかみ) などとも呼ばれ、この像が安置された門や楼門は「随神 (身) 門」などとも呼ばれます。
(中略) ・・・ニギハヤヒノミコトが、高天原から天下りになったときに三十二柱の神と多くの職工が一緒に天下った説明です・・・(現代風に言えば、九州から生駒山に進出した)
この三十二柱の神は、ニギハヤヒノミコトを護衛するために随行した武神、即ち「随神」なのです。
その三十二柱の随神を二体の像として表し、当神社の楼門にあたる絵馬殿に安置しているのが当神社の随神像なのです。そして、この随神像は御本殿に鎮まります御祭神を今日も護衛し続けているのです。」
何度か上記の説明を読んだことはありますが、
やはり、「剣」と「矢」を持った御神像なので、勝手に「ニギハヤヒノミコト」と「ウマシマジノミコト (ウマシマデノミコト) 」だと思い込んでいました。
あと、勝手な想像では、そこまで古い像ではないので、
明治以前は、「仁王さん」が配置されていたのではないかと思っていました。
現在安置されている「随神像二体」は、大きくてとても迫力に満ちた御神像です。
「私論」ですが、鹿児島県の霧島神宮・・・テレビのニュースかなにかで、社殿内陣が「ちらっ」と見えた時、
「石切さん」と同じ神気をテレビ越しに感じました。
私は前々から、「ニギハヤヒノミコト」と「ニニギノミコト」は、同一神だと思っています。なんの根拠もないのですが、私の「カン」です。
たった今、後ろでモズが「きゅん きゅん きゅん」と、ずっと鳴いています。
ではまた。
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