竹中平蔵教授が、『東洋経済』において熱く語っています。勉強になることばかりです。記録しておきましょう。
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竹中平蔵(上)「リーダーに必要な3つの資質」 世界のリーダーと日本のリーダーの違い(東洋経済オンライン) - goo ニュース
2012年11月30日(金)12:20
世界のリーダーと日本のリーダーの違いは何か。
まず世界のリーダーは、「世界で今何が起きているか」について貪欲に情報を求め、洞察を深めている。
たとえば、あるインドのグローバル企業のCEOは、年に数回、世界から自宅に専門家を招き、一日中缶詰めになって議論している。私もそのメンバーの 一人だが、ほかにも、元米財務長官のローレン・サマーズや、英国国際問題研究所(IISS)所長のジョン・チップマンなど、そうそうたるメンバーがそろっ ている。
彼はグローバル企業のCEOなので、いろいろな資料やデータが部下から上がってくる。だが、最後の決断は自分一人で下さなければならない。そのため には、頭の中に、「世界で何が起こっているか」について洞察をつくっておく必要がある。だから、わざわざ世界から専門家を呼んで意見を聞いている。
もっと孫さんのようなトップを
ほかにも、ある香港の富豪は、ダボス会議にやってきて、ホテルの部屋に陣取り、次から次へと参加者を招いていく。私が招かれたとき、前に呼ばれていたのは米国の大統領補佐官だった。彼がダボスに行くのは、会議に出るためではなく、そこに集う人に会うためだ。
つまり彼らは、組織のトップでありながら、組織と戦っているところがある。組織から上がってくる意思決定そのものに対して、批判的な目を向けながら、自分で最終的な判断をするという姿勢を持っている。私はこれこそが本当のリーダーだと思う。
ダボス会議には、世界トップ企業のCEOが集うイベントがあるが、そこに行くとみなプロの経営者ばかり。去年はあの会社のCEOで、今年からまた別 の会社のCEOといった感じで、みな顔見知りだ。リーダーであることをプロフェッショナルな仕事にしている人がいる点が、日本とすごく違うところだと感じ る。
日本のリーダーの場合、組織の上に完全に乗っかってしまう人が大半だ。組織の生え抜きで、兄貴分のような形で、トップに上り詰める人が多い。もっとソフトバンクの孫正義さんのようなトップが増えたら面白いと思う。
トップには特別な資質が必要になる。その資質は、日本かアメリカかに関係なく、世界共通だと思う。
哲学者の梅原猛さんは著書の『将たる所以』の中で、日本の歴史上どんなリーダーがいたかを書き綴っている。この本を私なりに解釈すると、リーダーには3つの条件がある。
1つ目は、自分の頭で世界や将来を見通す洞察力を持っていることだ。たとえば、「アメリカはこれからどう変わるか」「欧州の財政危機はどうなるか」 「ライバル企業はどう動くか」といったテーマを頭の中で整理して、それぞれに洞察を持たないといけない。この力がないと「今どうすべきか」という判断を下 すことができなくなる。
2つ目は、自分の考えをステークホルダーに語って、説得する力だ。経営者であれば、部下や株主や債権者や銀行を説得する必要がある。今ふうの言葉で言うと、説明責任だ。
優れたリーダーは、みな話がすごくうまい。「私は口下手です」と言う人がよくいるが、そういう人に対しては、「君はリーダーに絶対なるな。君みたいな人がリーダーになったら、みんなが迷惑する」とあえて挑戦的に言っている。リーダーは説得力がないと駄目だ。
3つ目が、組織を動かす力だ。人は各自いろいろな想いを持って働いている。お金に反応する人もいれば、出世に反応する人もいれば、子供の受験のために頑張っている人もいる。そうした一人一人に対して、上手くインセンティブを与えて、組織を作る力が求められる。
小泉純一郎元首相は、見事にこの3つの力を備えていた。
橋下徹大阪市長も、高い洞察力を持っているし、独特のコミュニケーション能力を持っている。だから、彼に今問われているのは、うまく組織を作る力 だ。彼は、自らが生み出した社会現象を政治的ファクトにしなければならない。その過程で乗り越えるべきことは多くあるだろうが、彼にはとても期待してい る。
学校で学ぶ知識は、社会や経済に対する洞察力を養う若干の助けにはなる。しかし、受験のために、テストで1点、2点を争うようなことをしていても、 意味は乏しい。本当のリーダーは、自分で腹を決めて、決意と計画を持っていなければならない。その意味で、受験勉強というのは、むしろ邪魔になることのほ うが多いのかもしれない。
そもそも、受験勉強はリーダーシップの養成にはつながらない。なぜなら、世の中の問題のほとんどは解けない問題だからだ。リーダーは、答えがないも のに答えを出さなければならない。それに対して、受験勉強は、答えがあるものに答えを出すものなので、準備さえすれば、誰でもできる。受験は記憶力のテス トなので、記憶力に自信がある人にとっては、すごく簡単だ。
東大、慶応を出ても大したことはない
日本では、多くの人が受験勉強でヘトヘトになってしまう。だが、東大を出ても、慶応を出ても、大したことはない。実際、いい大学を出ても役に立たない人材が、霞が関や大手町や丸の内にゴロゴロいる。
世界に目を向ければ、日本の大学で世界トップ100に入るのは、せいぜい4つぐらいだ。東京大学といっても、世界では「東京にある大学だね」というぐらいの反応しかない。だから、東大、慶応に行くのはいいが、それを絶対に目的にしてはいけない。
日本の受験はあくまで通過点なのだから、学部でも、大学院でもいいので、海外で世界に通用する大学教育を受けてほしい。そして、世界の厳しい競争の中で勝って、堂々と自立してほしい。自立するということは、つまり、稼ぐということだ。
それに加えて、世界のすばらしい文化を楽しんで生きてほしい。家族を大切にして、家族と一緒にニューヨークのミュージカルを見たり、パリでオペラを聴いたりする。そうした生活を送れば、人生はすばらしいと感じられるはずだ。
世界に通用するリーダーになるために、アートの素養は極めて重要だ。実は小泉さんが海外のリーダーから高く評価された理由の1つは、文化に造詣が深かった点にある。
大震災のあとに、被災地に入ったジャーナリストが、「何が欲しいですか?」と被災者の人たちに聞いたところ、最初の人は「水が欲しい」と言い、2番 目の人は「食料が欲しい」と言った。しかし、3番目の人は「歌が欲しい。私たちは人間らしく生きたい」と言った。つまり、歌であったり、彫刻であったり、 絵画であったり、パフォーミングアートであったり、そうしたアートの中に人生の価値が集約されている。
哲学者のニーチェは、「アートこそが世の中の最高のものであって、人間を人間として生きさせる根源のようなものである」と言っているが、私もそう思 う。同じく、「ソフトパワー」の提唱者であるハーバード大教授のジョセフ・ナイも「アートは21世紀の見えざる力だ」と言っている。アートは、ソフトパ ワーの大きな柱の1つだ。
経済学者のジェフェリー・サックスが、マラリアを撲滅するために活動していたが、当初はなかなかうまくいかなかった。しかし、U2のボノがイベントに協力するようになってから、勢いが一気に増した。アートにはそうした力がある。
日本の文化予算は、韓国の5分の1
アートは他のものとは違う非常に特殊なものだ。いい絵が高い値で売れるというふうに、アートの経済的価値と芸術的価値が重なる場合もあるが、そうならないことも多い。だからこそ、社会全体でみんながアートを楽しみ、育てていかないといけない。
現在、日本の文化庁の予算は、約1000億円しかない。これは、国民1人当たりに換算すると、フランスの10分の1、韓国の5分の1だ。つまり、日 本は文化にほとんどおカネを使ってない。一方、アメリカの1人当たりの文化予算は、日本のさらに10分の1しかないが、寄付がアートを支えている。すなわ ち、政府は直接おカネを使わないが、税額控除という形でサポートしている。
国からの補助金も、寄付税制の優遇も、どちらもないのが今の日本だ。このような状況でも、これだけの文化が残っているのは、日本人として誇らしいことだが、手遅れにならないうちに、みんなが文化を支え合うようにしなければならない。
小泉さんを見ていて思うのは、やはり基本が大事だということだ。基本に忠実かどうかというのが、すべてだと思う。
小泉さんが国民から支持された最大の理由は、憲法どおりにやった点にある。たとえば、小泉さんは、派閥を飛び越えて組閣したが、これは憲法通り。な ぜなら、大臣を指名する権限は、一にも二にも総理にあるからだ。そして、郵政民営化法案が否決されたときには解散した。これも憲法どおり。そのとき反対し た閣僚は罷免して自分が兼務した。これも憲法どおり。だから、小泉さんのやり方は異端ではなく、極めてオーソドックスだ。
そして、橋下さんも基本をすごく見ている。「次の選挙で、自民党が勝ち、今落選している議員が戻ってくるだけでは、何も変わらない。それよりも、こ の国の根本的な問題は、統治機構にある。そこに切り込むことが重要だ」と基本に戻って主張しているから、国民に響くのだと思う。
古典とは、問題解決のための書
基本を見る力を養うには、古典を読むのがいい。
みんな誤解しているが、少なくとも経済古典に関して言えば、古典は最初から古典だったわけではない。発行当時は非常に新しい本で、目の前にある問題 の解決のために書かれたものだった。内容が斬新だっただけに、著者たちはすさまじい批判にさらされ、その批判と戦う必要があった。
アダム・スミスが『国富論』を書いた目的は、「いかにしてこの間違った重商主義をやめさせるか」「いかにして植民地アメリカを独立させるか」という点にあった。ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を書いたのは、失業という問題を解決するためだった。
だからその時々の状況で、どういうふうに問題を解決しようとしたか、どう激しく戦ったかを学ぶために、古典は役立つ。古典を読むのは、非常に面白くてロマンがある。
古典の著者たちは、象牙の塔にこもっていた人たちではなく、目の前にある社会の問題と戦った人たちだ。実際、ケインズも「経済学者の本当の仕事は、今の問題を解決するための短いパンフレットを書くことだ」と述べている。
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海外の高等教育を受けること、最高の芸術を愛すること、そしてリーダーになる覚悟をもって勉強すること。
すべていまの多くの若者に欠けていることです。教授の言葉に感激して、自らの行動指針にしてくれる若いひとがひとりでも多く出てきてくれることを強く望みます。
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