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高倉健さんを支え続けた大滝秀治さん、逝く

2012年10月06日 11時30分11秒 | 高倉健

大好きな大滝秀治さんが、お亡くなりになりました。残念でなりません。

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大滝秀治さんの最期は「これでいいのだ」(日刊スポーツ) - goo ニュース

2012年10月6日(土)07:47

 ひょうひょうとした中に滋味深い演技で舞台、映画、ドラマで活躍した文化功労者、劇団民芸代表の大滝秀治(お おたき・ひでじ)さんが2日午後3時17分、肺扁平(へんぺい)上皮がんのため都内の自宅で亡くなった。87歳だった。今年2月に肺がんが見つかり、6月 の主演舞台を降板し、療養していた。葬儀は近親者のみで済ませており、お別れの会を22日午後2時から東京都港区の青山葬儀所で行う。

 昨年暮れから体調不良を訴えていた大滝さんは、今年2月27日に肺がんと診断された。主治医から告知を受けても冷静だったが、手術や放射線治療を拒否。民芸6月公演「うしろ姿のしぐれてゆくか」を降板し、抗がん剤治療に専念した。

  回復の兆しが見えた6月末に間質性肺炎も併発したが、その後は病状も安定し9月7日に退院、食欲もあり、亡くなる前日1日夜もシューマイと好きな日本酒を 飲んで就寝した。夜中に呼吸が荒くなったが、在宅医が駆けつけ回復。しかし、2日午後に容体が急変、妻純子さん(82)長女菜穂さん(52)次女久美さん (50)にみとられて息を引き取った。長女の夫で演出家の山下悟さん(57)は「大きく2、3回息を吸って静かに息を引き取りました。炎の塊のような人の エネルギーが消えてゆくような感じでした」と話した。

 山下さんによると、肺がんが見つかって以降、大滝さんは「病気に体をむしばまれる 恐怖以上に仕事ができないことがつらそうだった」という。60キロの体重が40キロになり「誰か会いたい人いる?」と聞いても「まだいい」と答えた。山下 さんは「やせた姿を見せたくなかったんでしょう」と思いやった。病床ではかつて演じた舞台の台本をそばに置き、色紙に「舞台にもう1度立ちたい」と書い た。ドラマ出演の依頼もあり、主治医に「無理です」と言われても、「12月と来年1月はロケだからな」と自分を奮い立たせた。亡くなった2日には家族に 「大丈夫」「ありがとう」と繰り返した。同日には民芸公演の舞台稽古が行われたが、午前中に「今日が舞台稽古だね」と話すなど、直前まで気にかけていた。

  50年、民芸創立に参加したが、「壊れたハーモニカみたいな声だな」と演出部に回された。人手が足りなくなって俳優に戻ったが、老け顔と悪声で脇役ばかり だった。転機は45歳で主演した舞台「審判」。紀伊国屋演劇賞を受賞した。50歳で北海道の駐在所勤務の警官を描いたドラマ「うちのホンカン」に主演。 52歳で「特捜最前線」に出演し、ベテランの船村刑事役で人気を集めた。その後は徹底した人物造形に年齢を重ねて渋みが加わり、テレビ、映画で貴重な存在 に。除虫剤CMでのユーモラスな演技でも知られた。

 病床で本を読みあさった大滝さんが、次女の勧めで最後に手にしたのが漫画家赤塚不二 夫さんの「これでいいのだ」。舞台の演技に悩み「これでいいのか」と自問を繰り返した大滝さんと真逆の生き方だが、「面白いね」「これでいいんだね」と気 に入っていたという。ひつぎには愛用のセーターや鉛筆、劇団同期の奈良岡朋子が編んだマフラー、代表作「審判」「巨匠」、演じたいと思い続けた「なよた け」の台本とともに「これでいいのだ」も入れられた。山下さんは「舞台をとったら抜け殻のような父だったけれど、最期は『これでいいのだ』と笑顔で穏やか に旅立ったと思います」と話した。

 ◆大滝秀治(おおたき・ひでじ)1925年(大14)6月6日、東京生まれ。50年に劇団民芸の創設 に参加して、51年「炎の人」で初舞台。70年「審判」で紀伊国屋演劇賞。05年「巨匠」「浅草物語」で読売演劇大賞。09年「らくだ」で文化庁芸術祭 (演劇部門)で大賞。映画は76年「不毛地帯」「あにいもうと」でブルーリボン賞助演男優賞。ドラマはテレビ朝日系「特捜最前線」、NHK大河「独眼竜政 宗」などに出演した。88年紫綬褒章受章、95年勲4等旭日小綬章受章、11年文化功労者。167センチ。血液型O。
 

健さん「僕が一番尊敬する俳優」/悼む(日刊スポーツ) - goo ニュース

2012年10月6日(土)07:47  2日に亡くなっていた俳優大滝秀治さん(享年87)の遺作となった映画「あなたへ」に主演した高倉健(81) が5日、大滝さんへの感謝と追悼の思いをつづったコメントを発表した。多くの映画で共演し、今年8月の日刊スポーツの取材には大滝さんについて「僕が一番 尊敬する俳優」と話していた。入院中の大滝さんとの手紙のやりとりも明かし、文面から、俳優を今後も続けていく勇気をもらったという。2人は深い絆で結ば れていた。

 高倉のコメントには、大滝さんへの敬愛がにじんでいた。「最後のお仕事の相手を務めさせていただき、感謝しております。今までご一緒させていただいたいろいろな場面が思い浮かびます。本当にすばらしい先輩でした」。

 かけがえのない先輩だった。今夏、大滝さんから1通の手紙が届いた。8月、高倉は日刊スポーツの取材にその内容の一部を明かし、思いを語っていた。

  「病院にまだ入っています」という書き出しの文面には、自分への感謝の気持ちがつづられていた。高倉が「あなたへ」の中の大滝さんの演技を絶賛していると 知ったそのお礼だった。漁師役の大滝さんが高倉演じる主人公に「久しぶりに美しい海を見た」とつぶやく場面を「平凡なセリフだと思ったが、大滝さんが言う ことで深い意味を感じた」。撮影直後、あまりの感動に現場で涙をこぼした。高倉は俳優をこのまま続けていくのか、迷っていた時期だったが、その演技を目の 当たりにして「まだまだ一生懸命やっていかなきゃだめだと思い直させてくれました」という。

 大滝さんの手紙には「1つのセリフには9 つ の言い方があると教えられてきたが、私は1つしかないと思っています。あの時は心を込め、その1つでセリフを言いました。それをあなたは分かってくれてう れしい。ありがとう」と書かれてあったという。テクニックではなく、気持ちが何より大事。「思っていることが一緒でした」。以来、手紙のやりとりが続い た。

 俳優人生が完全否定から始まった共通点もあった。大滝さんは劇団入りしたが演出家から「声が悪い。裏方やれば」と言い渡された。高倉も映画デビュー前の演技レッスンで「俳優に向いていない。ほかの仕事をした方がいい」と告げられた。

 「そういう部分もあって僕はずっと大滝さんを見てきた。自分が頑張る力になってくれる。僕が会った中で最高の俳優さん」

 映画「駅 STATION」など多くの映画で共演した。精神的な支えでもあった先輩が旅立った。この日発表したコメントは「静かなお別れができました」とかみしめるような言葉で結ばれていた。【松田秀彦】

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高倉健さんが出されたコメントを全文記録しておきましょう。

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【悼む】高倉健「本当に素晴らしい先輩」
< 日テレNews24 2012年10月5日 16:44 >

大滝さんが今年に入り体調を崩され、入院なさっている間、お手紙の遣り取りを続けておりました。
大滝さんの最後のお仕事の相手を務めさせて戴き、感謝しております。
今までにご一緒させて頂いたいろいろな場面が思い浮かびます。

本当に素晴らしい先輩でした。

静かなお別れができました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌
2012年10月5日
高倉健

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大滝さんの演技では、『駅STATION』のときの健さんに向かって言う次のセリフが大好きです。大滝さんは、健さん演じる三上英次の先輩の相場役です。

  お前はアホだ。
  奥さんはともかく、子供に対して自分を一体なんだと思ってンだ。
  家庭を捨てる位だったら、仕事を捨てる方がよっぽど気がきいてる。

ああ、また見たくなりました。ご冥福をお祈りします。合掌。

 


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