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原節子の70年前の随筆、新たに再出版される

2016年12月13日 06時59分35秒 | 映画ニュース

70年前の随筆ですか。読まねばなりません。

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原節子さんのエッセー見つかる 大女優の素顔は…
朝日新聞 2016年12月6日08時54分

 戦前から戦後にかけての銀幕のトップスターで、昨年95歳で亡くなった原節子さんが終戦翌年、雑誌に寄せたエッセーが確認された。満員電車の光景などを通じて、新生日本のあるべき姿を提言する内容。原さんのエッセーは珍しく、42歳の若さで引退後、表舞台から姿を消した神秘的な大女優の素顔が浮かぶ貴重な資料だ。

 原稿用紙5枚ほどで、福岡県久留米市の季刊雑誌「想苑(そうえん)」第2号(1946年11月発行)に「手帖(てちょう)抄」と題して掲載されていた。当時26歳で、ヒロインとして注目を浴びた黒澤明監督の戦後初の作品「わが青春に悔なし」の公開直後だった。

 エッセーは「ものすごい混雑。赤ン坊の泣声と怒声罵声。ぼうとなるほどの人いきれ」だった省線電車(旧国鉄)でのエピソードを紹介。赤ん坊の激しい泣き声に「やかましいぞツ!」などの怒声が上がったが、突然「母親の身にもなつてみよ。心で泣いてるぞ!」との声で静まりかえり、その声は「烈々たる気魄(きはく)に充(み)ちてゐた」という。

 さらに、座席の若い女性が、乳児を抱いて立つ母親に「抱(だっ)こさせて下さい」と手をさしのべたが、ある紳士が「抱いてあげる親切があつたら、席を譲りたまへ」と怒鳴る光景に、原さんは「紳士は『善』を知つてゐると云(い)へやう。けれども『善』を行へないたぐひであらう」と皮肉った。

 途中、ミスコンテストについて「商業政策でしかない」「容貌(ようぼう)容姿の美しさを主条件とするNO・1を撰(えら)ぶといふことは、文化の水準を高めるいとなみとは云へない」と批判。その後、戦前を「日本人自身をおめでたいほど高く評価してゐた。日本といふ国は世界無比の国であり、日本人は世界でも最も優秀な民族であると考へ、自惚(うぬぼ)れてゐた」と回顧。「欠陥の多い日本そして日本人ではあるが、自卑してはいけないと思ふ」「めいめいが何とかして一日も早くお互に愉(たの)しく生きてゆけるやうに仕向けやうではないか」「日本再建はそこからだとわたしは云ひたい」と訴えている。

 エッセーは、立教大の石川巧教授(日本近代文学)が、火野葦平資料館(北九州市)の坂口博館長に教えてもらった「想苑」に掲載されているのを見つけた。同じ号には作家の武者小路実篤や火野葦平、翻訳家の村岡花子、芸術家の中川一政、女形役者の花柳章太郎ら各界の著名人が寄稿しており、原さんも依頼されたとみられる。石川教授は「女優としての仮面を脱いで地声を響かせている」と指摘。「原節子の真実」を書いたノンフィクション作家、石井妙子さんは「知る限り、エッセーに言及した評伝はない。彼女はおとなしい女性ではなく、秘めた思いがあった人。その実際の姿を伝える珍しい文章だ」と話す。

 エッセーは7日発売の文芸誌「新潮」1月号(新潮社)に掲載される。(高津祐典)

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原節子さんのファンです。関連図書は、ずいぶん読みました。その中には、原さん自身の随筆も含まれています。それを見る限り、戦後のこの時期、よく随筆を書かれていたようです。この随筆の発表も、その流れの中でのことでしょう。

随筆を読む限り、私見ながら、鋭い観察眼と達者な文章力をお持ちの方です。本作も、出だしの体言止めの連発でリズムを出すあたり、映画のカットバック手法を思わせるリズム感があります。

書き続けておられれば、高峰秀子さんと並ぶ名随筆家になられたはずです。女優引退後、それこそ高峰さんのように、文筆の道に進まれてもよかっただろうに、とファンとしては惜しんでいました。

ともあれ、こういう新発見があることはうれしい限りです。早速、読んでみることにします。

新潮 2017年 01 月号
 
新潮社

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