すごい人です、たけさん。
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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:6 亡きばあやの言葉、襲名後押し
朝日新聞 2017年7月17日05時00分
16歳のころ。鼓の稽古をする=1961年、「アサヒグラフ」より
■歌舞伎俳優・中村吉右衛門
歌舞伎を続けていられるのは、住み込みで育ててくれたばあやのたけのおかげです。
ばあやは生まれた時から家にいて、面倒を見てくれました。56歳で亡くなりましたが、髪が真っ白で、70歳ぐらいに見えましたね。
朝早く起きて食事の支度や学校への送り、掃除をして、ぼくたち兄弟のお稽古ごとにもついてきてくれた。夜はぼくらを寝かしつけて、帰宅する実父(初代松本白鸚〈はくおう〉)の食事の支度。その後、裁縫をやっていた。睡眠時間は3時間ぐらいだったのではないでしょうか。滅私奉公の代表みたいな人でしたが、いつもぼくを叱咤(しった)激励してくれた。
当時、歌舞伎俳優には背の高い人があまりいなかったのですが、ぼくは小学生の頃からひょろひょろと背が高かった。体形的に向かないのではないかと悩み、「歌舞伎俳優にはなれない。やめる」と言うと、ばあやは「大きい人は下手なら下手が目立つけれど、うまければうまさが人より目立つでしょう。上手になりなさい」と励ましてくれました。
《小学校から高校まで、私立の暁星学園に通う。大学は早稲田に進学した》
ばあやは学校の父母面談まで行ってくれました。高校の面談の時、校長先生から「本当に大学に行くのか」と言われたとかで、「あたしはこんなに悔しいことはなかった」と言われた。ぼくにも火がつき、必死に勉強しました。高校3年の夏ごろです。「絶対、ばあやのためにも」と思って早稲田大学第一文学部を受験、合格しました。
3年ぐらいはちゃんと通っていましたが、途中でばあやが亡くなるんですよ。襲名のこともそれまであまり考えていませんでしたが、看病の間に「吉右衛門をちゃんと継いで下さいね」と言われて、ばあやが亡くなって初めて継ごうという気になりましたね。
襲名は40、50代になってからするものだと思っていたので、実感がわきませんでした。でも、ばあやの思いに背中を押されたんです。
(聞き手 山根由起子)
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たけさんは、本当に吉右衛門の育ての親。梨園の名門家族のお世話で心身ともに酷使されたのでしょう。56歳と若くして亡くなったのも仕方ないかもしれません。
しかし、そのたけさんに吉右衛門が立派な恩返しをしたのも、事実です。泉下でお喜びのこととおもいます。安らかにお眠りください。合掌。
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