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健さん、75歳に

2006年02月16日 09時39分28秒 | 高倉健
今日は、健さんの75回目の誕生日。おめでとうございます。これからも更なるご活躍をお祈りいたします。

さて、その健さんのインタビュー記事が、昨日発売の『文芸春秋』3月号に56ページから163ページまで掲載されています。そこでポイントをいくつか記録しておきたいと思います。

タイトルは、「黒澤監督ごめんなさい 健さん74歳、わが役者人生」。

★張芸謀監督からの最初のオファー作品は

「揚子江を下る船で働く農村出身の女の子と、初老の日本人商社マンとの恋の物語」(p.157)

これ、いまでも見たいです!

★オファーを受ける理由は

「理屈じゃないんです。イーモウという人間を好きになったからでしょう。…僕はもう七十代の半ばにさしかかっていますが、『この監督のためなら、映画が失敗しても後悔はしない』という気になれば、まだまだ走れるなと確信しました」(p.159)

ジジイになっても、これだけ熱くなれる健さん。人生の目標です。

★映画の撮影とは

「映画の撮影は恋愛と似ているかもしれません。結婚はできなかったけど、あの女といた年月に悔いはない、という感じです。映画でも惚れた相手と“燃える”ことが、一番大事なことなのではないでしょうか」

ということは、いまでも健さんは「恋」ができるということなのですよね。凄い!

★巨匠・内田吐夢監督の言葉: 活字を読め

「内田監督には、俳優としての心構えを随分と教えられました。『おまえは活字を読んでいないな。活字を読んでいないやつは顔に出る。週刊誌でも何でもいいから、とにかく活字を読みなさい』と叱られたこともあります」(p.159)

(映画『飢餓海峡』の演技に触れて)「でも監督には、『おまえはヤクザの目をしている』と言われました(笑)。『目つきは変わらないですよ』と言い返したら、『変わるよ。本を読みなさい。お前の役は東大出の刑事なんだから、もう少し勉強しろ』と諭されました」(p.160)

本当にそうです。大体、生意気で頭が悪くて可愛くない野郎は、本を読みません。INDECの会員諸君にも、「もっと本を読め!」と活を入れないと。

★金がなくても

「映画への取り組みも変わりました。特に森谷監督の『八甲田山』のときは映画一本に集中するため、撮影に入ってからの三年間はCMを一切やりませんでした。それまでは年に十本以上映画を撮る上に上にCMにも出ていたわけですから、大きな違いです。お金は一銭も入ってきませんから、ハワイのマンションや京都の土地など、なけなしの資産を売って生活をしていました。

 収入がないなか、八甲田山の豪雪の中を薄着で這いずりまわって……。あの厳しい撮影を経験したことが、今につながっているんだと思っています」(p.160)

日本の至宝、高倉健にこれだけの経済的苦境を味あわせた日本映画界。ゴウ先生、怒りさえ感じます。ハリウッド俳優なみの待遇を保証しなければ、邦画が生き残ることはできなくなります。ジャパニーズ・ドリームを確立しなければ。

★黒澤明監督との思い出

「黒澤監督とのことは今も苦い思い出です。思い返すたびに胸が痛くなります。黒澤監督を傷つけてしまったという思いもあるし、僕自身も傷つきました」(p.160)

(黒澤映画への出演オファーについて)「ここでは詳しくは話せませんが、途中まで順調に話し合いが進んでいたのに、私が『南極物語』(八三年)のロケで三ヶ月ほど日本を留守にしていた間に話がこじれてしまったんです。ご自宅に四回伺いましたが、最後にお目にかかったときの、『高倉君、それでは僕は困りますよ』と両手で頭を抱えられた姿が忘れられません。

 結局、俳優と監督というのはタイミングが大事なんですねえ。『ギャラなんかどうでもいい。馬から落ちる役でもいいからやりたい』と思うほど恋い焦がれていた監督なのに、一度も一緒に仕事をできなかった……。黒澤監督と一作でもやっていたら、僕の人生はまた違うものになっていたのかな、と思うときもあります」(pp.160f.)

『乱』の製作前の話です。黒澤監督が端役しか健さんにオファーしなかったから断ったという話になっていますが、実際はどうだったのでしょう。

ああ、健さんを主役にした黒澤映画を見たかった!

★健さんの英語勉強法

「僕が学生の頃は、映画のシナリオに英語訳がついているテキストが大人気でした。僕も、ヴィヴィアン・リーとロバート・テーラーの『哀愁』のセリフをすべて覚えていました。映画が好きだからというよりも、米国への憧れからセリフを覚えていたんです。」(p.162)

こういう健さんだから、シドニー・ポラックやリドリー・スコットなどの超一流の映画監督から出演オファーをもらえたのです。DVDがあるいま、もっと楽に勉強できます。要は徹底して覚えることなのです。見習ってください。

★張芸謀組の豪華さ

「中国は日本よりも徹底したハリウッドシステムを採用していました。たとえば俳優やスタッフの食事は、北京から八人のコックを連れてきて、朝、昼、晩と新鮮な食材を使った料理を好きなだけ食べられる。冷たいロケ弁を食べながら撮影する日本の映画界とは雲泥の差でした」(pp.162f.)

これなんです、ゴウ先生が日本映画界に望むのは!夢ある職場が貧しいのでは話になりません。

★高倉監督が誕生するかも

「年末からお正月にかけてたくさんのDVDを観ていたのですが、トニー・スコット監督の映画『マイ・ボディガード』(〇四年)は本当にいい映画でした。僕はスコット監督の最高傑作だと思います」

「多くの方から、『燃える男』の日本版を製作したら面白いのでは、という提案を受けていました。この作品には心惹かれるものがあります」(p.163)

INDECの定期上映会でも昨年上映した『マイ・ボディガード』(原題Man on Fire)。デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングの共演で話題を呼んだ映画です。

ぜひ観てみたいものです。設定を変えて年老いたボディガードを主人公に据え、健さん自身が演じるようにしましょう。最後の結末など、往年の任侠映画の趣きです。『ミリオンダラー・ベイビー』を超えるエンディングになる可能性があります。

しかも、助ける少女に福田麻由子ちゃんあたりを起用してくれたら、言うことなしです。ぜひ、クリント・イーストウッドを超えてもらいたいものです。

ともあれ、健さんファンならずとも、このインタビュー記事、ぜひお読みください!

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