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歴史教科書にはこれを書け

2005年05月27日 12時50分25秒 | 時事放談: 国内編
実は、この記事を昨日発見して、これは熱く語らねばと思い、長文のコメントをつけていたのですが、当方のミスでそれがパー。また一から書いていると紹介がますます遅れますので、とりあえず、記事だけ引用します。

読んで、胸を熱くしてください。

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ブラジル移民史 風化させない 中学教師有志、歴史教科書に掲載訴え (産経新聞) - goo ニュース

2005年05月26日(木)

 「ブラジル移民・移住百周年」を迎える二〇〇八(平成二十)年を機に、中学の歴史教科書に「ブラジル移民史」を取り上げてほしいと、全国の中学教師の有志が来月、教科書会社八社へ要望書を送る。「忘れられたくない」という移民一世の思いを背に、教師たちは「これはもう一つの“歴史教科書問題”。教科書に載せることで、日本が移民を見捨てたのではないことを示したい」と訴えている。

 「ブラジルには日系人が、五家族しかいないと聞いていた」

 ブラジルの日系農場「アリアンサ移住地」(約二百家族)の靴職人で、山梨県出身の一世、矢崎正勝さん(61)は今年初め、日本の若い旅行者がこう話すのを聞いて衝撃を受けた。「日本の歴史の中で、移民はなかったことになっているのでしょうか」

 知人を介し、矢崎さんを知った京都府宇治市立木幡中の社会科教諭、本庄豊さん(50)は二年前、アリアンサを訪問。二世の老人は「日本は移民を送り出すだけで後は何もしてくれなかった。マラリアで全滅した村もある。われわれは捨てられた」と話した。

 ブラジルには、海外最大の日系社会があるのに、現在、使用されている中学の歴史教科書八冊のうち、「ブラジル日系人」の記述があるのは、「大阪書籍」、「教育出版」、「帝国書院」の三冊のみ。

 来年度から使われる八冊では、「東京書籍」と「帝国書院」の二冊に減るうえ、東京書籍では「中南米」との表現にとどまっている。

 ブラジル移民に触れていない教科書の出版社のうち、教育出版は「日露戦争という国家の動きを重視した結果、同時期の移民史がなくなった」(担当編集長)と説明。日本文教出版は「移民史という観点に気づかなかった」と認識が欠如していたことを認めている。

 一方、地理教科書では六冊のうち五冊が日系人に触れているものの、記述量は「ゆとり教育」の新学習指導要領以降、大幅に減った。

 本庄さんは所属する社会科教師の研究団体「歴史教育者協議会」(東京)のメンバーへ呼びかけ。全国各地域の教師七人ほどで来月、教科書各社へ要望書を出し、移民百年の平成二十年に検定申請される教科書で、体系的に取り上げてもらうことを目指す。

 ■ブラジル移民 明治41(1908)年の第1回移民船「笠戸丸」以降、日本は昭和16年までに19万人を、戦後は27年-平成5年に5万人余をブラジルへ送り出した。ブラジルの日系社会は現在、推定で140万人と海外最大。渡航当初は多くが農業移民だったが、現在は商工業や公務員、教師、医師など各分野に進出している。故石川達三は第一回芥川賞受賞小説「蒼氓」で、戦前の移民を描いた。昭和60年ごろからは、日本で働こうとする日系ブラジル人が増加、二十数万人が工場などで働いている。

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北米、中米、南米、そして満州へと時の政府は無責任に日本人を送り込みました。

そこは決して「約束の地」ではなく、荒れ果てた土地だったのです。裏切られた!という思いを移民の方一人一人がお持ちになられたことでしょう。

その事実をしっかりと次の世代に教えていかなければ、日本人の誇りが消えうせてしまいます。自国の歴史に明るい中学生が一人でも多くなれば、最高です。

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1 コメント

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Unknown (Moon)
2005-06-07 01:36:00
日本から他国へ移民された方々がいたことは

記憶の片隅にしかありませんでした。

希望を持って日本を離れた方々を思うと胸がいっぱいになります。



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