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日本海海戦100周年

2005年05月27日 07時55分34秒 | 時事放談: マスコミ編
今日はあの日本海海戦から100年目に当たります。このことを伝えている社説がありやなしやと思い、チェックしてみました。

当然のごとく、朝日・毎日・日経・東京は取り上げず、読売と産経(26日付けで)だけが論じています。

前者は、対独勝利60周年やドイツが作ったナチスの犠牲者の慰霊碑に関心を寄せても、わが国の先達が成し遂げたことには無関心です。もしかすると、日露戦争で負けていたら、論じる対象になったのでしょうか。

銀行の不良債権処理の問題よりも、日本人としてのアイデンティティの問題の方が、反日デモから呉儀問題に至る現在、より重要だとゴウ先生は訴えます。

ただし、昨日は褒めた読売ですが、日本海海戦を取り上げたとはいえ、どうも感心できません。いつもはしっかりとポジションを取る読売が、中途半端な結論で終わっています。

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[日本海海戦]歴史の潮目を変えた海戦だった

 日露戦争の帰趨(きすう)を決した日本海海戦から、今日で100年を迎える。

 1905年5月27日から翌28日にかけての戦闘で、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。

 世界の海戦史上、ほとんど類例のない完勝で、世界を驚かせた。その見事な戦いぶりは、1805年、ネルソン提督が率いるイギリス艦隊が、フランス、スペインの連合艦隊を破り、ナポレオンのイギリス進攻を阻止したトラファルガー海戦と、しばしば対比される。

 日本海海戦の圧勝、そして日露戦争の「勝利」から、様々な歴史の教訓を引き出すことが出来るだろう。

 開戦に際しては、軍事上の問題だけではなく、当時の国際情勢をも視野に入れた、様々な国家的戦略が練られていた。太平洋戦争の開戦とは、決定的に、異なる面である。

 例えば、日本の諜報(ちょうほう)員は、西欧や北欧の各地で、ロシアの革命運動家たちにひそかに接触しながら、資金援助も行い、ロシア国内の攪乱(かくらん)に努めた。

 戦局が日本に有利になった時点において講和に持ち込むという、開戦前からの構想の下で、米国に早い段階から仲介役を依頼していた。

 日英同盟を結び、活用した。

 英知を結集して、日本を脅かす大国ロシアと対決し、国難を乗り越えた。

 その後の20世紀の歴史に与えたインパクトも大きかった。

 ロシアの支配下にあった北・東欧から欧米の植民地だったアジア、アフリカにいたる各地の民族独立運動に、大きな希望を与えた。

 日本海海戦の翌月、中国紙「大公報」は、「黄色人種が白色人種と併存する世界が訪れた」と論評している。

 日清戦争後、中国から日本への留学生が目立ち始めたが、日露戦争が終結した翌年の1906年には1万人を超えた。留学生の中には、辛亥革命から共産党政権確立に至る過程で活躍した人物群も含まれる。

 しかし、世界から熱い眼差(まなざ)しを向けられた日本は、やがて無謀な戦争に突入して、破局を迎える。

 小説「坂の上の雲」で、日露戦争を戦った明治の群像を生き生きと描いた作家の司馬遼太郎は、「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」と表現し、日本社会から合理的判断力が失われていったとの見方を示している。

 世界史の大きな流れの中で、日露戦争とは何だったのか。日露戦後100年を契機に改めて考えてみたい。

(2005年5月27日1時46分 読売新聞)

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日露戦争の勝利によって大東亜戦争が起きたと読めるような乱暴な因果論をここで展開されても、読者は困惑するだけです。こういう乱暴さをなくすために「歴史を学ぶ」のではないでしょうか。

社説で取り上げるくらいならば、やはり現在から見た日本海海戦の意義を読売なりにきちんと評価すべきでしょう。今日の編集委員は×です。

もう一本の関連社説は、昨日の産経のものです。こちらはやっぱり元気がよいです。

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【主張】日本海海戦100年 考え直したい戦いの意義

 日露戦争の日本海海戦から明日二十七日で、ちょうど百年になる。この海戦で圧勝したことにより、日露戦争の勝利を決定的にし、日本は独立を守ることができた。世界の歴史も大きく変わった。百年という節目のときに、その意味を国民みんなで考えたい。

 日露戦争はロシア軍による満州(現中国東北部)の占拠や朝鮮半島への進出に対し、日本が異議をとなえる形で始まった。

 満州を舞台とする陸の戦いでは、日本軍は苦戦を強いられながらも、ロシア軍を北方へ押し戻すことができた。しかし、日本海の制海権を握ることで挽回(ばんかい)をはかるロシアは欧州からバルチック艦隊を派遣し、これを阻止しようという日本軍との間で戦われたのが日本海海戦だった。

 日本軍は、東郷平八郎連合艦隊司令長官らの卓越した指導力や兵員たちの高い士気や戦闘技術などによって、海戦史上例のない一方的勝利をおさめ、ロシア艦隊を壊滅させた。

 司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』の中で、海戦で負けていたときの「想像」として、陸軍が満州で孤立し日本は降伏するとし、こう書いている。

 「最小限に考えて対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの租借地になり、そして北海道全土と千島列島はロシア領になるであろうことは、この当時の国際政治の慣例からみてもきわめて高い確率をもっていた」

 日本にとっては間違いなく国の存亡をかけての戦いであり、大きな勝利だった。だが、先の大戦で日本が敗れると同時にその意味はほとんど語られなくなった。東郷司令長官の名前もほとんどの教科書から葬られた。

 百年目の今年も、政府主催による記念の行事は行われない。他国の戦勝記念式には小泉純一郎首相がかけつけているだけに残念である。

 しかし、「日本海海戦100周年記念大会実行委員会」主催の記念式典が二十七日、横須賀市の記念艦三笠で開かれるのをはじめ、対馬沖など各地で追悼行事や記念講演が行われる。

 この機会に、一人でも多くの国民に日露戦争や日本海海戦について、もう一度学びなおしてほしい。そして、少しでも自国の歴史に誇りを取り戻したいものである。

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想像できる内容ですが、ポジションを取っているだけ、産経の方が社説となっています。やはり自社の意見を社会に向けて発信するのが新聞社説の存在意義です。きちんとした論理と常識的な発想で日本国民に意見を伝えてもらいたいものです。そうすることで、公平な議論を喚起できるとしたものでしょう。

とはいえ、ゴウ先生、大いに気になることが一つあります。これほどまでに司馬遼太郎の『坂の上の雲』におんぶにだっこの社説でいいのでしょうか。

読売も産経も肝腎な自分の意見を主張する際に司馬解釈に依存しているのですから、ジャーナリストして恥ずかしくないのかと言いたくなります。

確かに、『坂の上の雲』はよい本です。INDECでも昨年来の「日露戦争見直そう運動」の中で推薦図書にして会員諸君の歴史意識を高めようとしてきました。

しかし、同時に、歴史は複数の視座から見ることでより正確な解釈ができるわけですから、他の作家・研究者の本も紹介したものでした。

たとえば、司馬の乃木希典愚将説は近年福田和也などによって見直されています。ゴウ先生自身は、司馬に近い乃木像を持っていますが、福田などの意見をしっかりと耳に入れる大人としての知恵もあります。

新聞にも当然あって然るべき発想ではないでしょうか。そうしないと、逆の意味で朝日の社説のようになってしまいます。史料は偏らず、意見は自分の立場で。これがジャーナリズムの基本だと思うのですが・・・。

『坂の上の雲』が出版されてから30年以上。新聞こそまず自分の歴史解釈を明確にし、安易に司馬を権威づけに使わない気概をもってもらいたいと願います。
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1 コメント

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勉強になります (Moon)
2005-06-07 01:31:28
先生のコメントがたいへん勉強になります。

短絡的で根拠のない結論づけと、権威にすがる論評ともに

新聞としての存在意義を問われるとの解説になるほどと

思いました。
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