寂しくなってしまったニュースです。
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2000年シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子らを育てた佐倉アスリート倶楽部(AC)の小出義雄代表(79)が、指導者を勇退したことが1日までに関係者の話で分かった。
関係者によると、04年から請け負う実業団のユニバーサルエンターテインメントとの選手指導の委託契約が3月末で満了。単年契約の更新を臨まなかった。過去には心臓の手術を受けたこともあり、入退院を続けている体調面も考慮した。01年に自身が設立した佐倉ACの代表は今後も続ける。
小出氏は高橋に加え、1992年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダルの有森裕子、97年世界選手権を制した鈴木博美らを育てた。
2000年シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子らを育てた小出義雄氏(79)が3月末をもって指導の一線から退いた。小出氏は1日、「今月(15日)で80歳になるし、体力も衰えた。指導者としてけじめをつけることにした」と語った。
小出氏が代表を務める佐倉アスリート倶楽部は女子の実業団チームのユニバーサルエンターテインメントから指導業務を委託されていた。1年ごとの契約更新にあたり、今回、小出氏が勇退の意向を示し、新年度は契約を更新しないことになった。心臓などに持病を持つ小出氏は最近、グラウンドに立つことはなかったが、先月の名古屋ウィメンズマラソンには足を運んでいた。
小出氏はこれまでを振り返り、「有森とまではいかないけれど、自分に満足している」と、1996年のアトランタ五輪で銅メダルに輝いた教え子の有森裕子が口にした「自分をほめたい」という言葉を引き合いに語った。
小出氏は千葉県佐倉市出身。順大を経て、市船橋高の監督時代の86年に全国高校駅伝(男子)で優勝。その後、リクルートや積水化学で監督を務め、高橋尚子や有森裕子、97年世界選手権優勝の鈴木博美らを育てた。佐倉アスリート倶楽部の代表は引き続き務める。(堀川貴弘)
勇退の小出義雄氏、20年も30年も先を行く指導者だった…番記者が見た
2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子らを育てた佐倉アスリート倶楽部(AC)の小出義雄代表(79)が3月末日をもって指導者を勇退したことが31日、分かった。
2000年シドニー五輪に向け、高橋尚子は米コロラド州ウィンターパークの標高3500メートルの地で走り込んだ。当時、高地トレーニングは標高1600メートル前後が最適とされ、2000メートルを超えた場所では逆効果になるとも言われていた。「無謀」との声も聞こえてきたが、小出監督は全く動じなかった。「世界一の練習をしなかったら、世界一になんてなれない。Qちゃんには、それができるんだよ」。長年の経験から確信していた。そして見事に金メダルを獲得。さらに翌年のベルリンで、女子初の2時間20分突破も成し遂げた。
20年も30年も先を行く指導者だった。1983年の青梅マラソン女子30キロ優勝者は倉橋尚巳、2位は古達千加。ともに小出監督が顧問を務める佐倉高校の現役陸上部員だった。インターハイの女子種目が、まだ800メートルまでしかない時代。女子高生に20キロ、30キロを走らせたら体を壊してしまうと非難されても、意に介さなかった。84年ロス五輪で正式採用された女子マラソンこそ、日本人が金メダルを獲得できる種目と信じて挑戦し続け、常識をぶち破る誰もやったことのない最先端の指導で実現した。
お酒が大好き 無謀とまで言われることを選手に取り組ませることができたのは、40年以上も前から褒めて育てる監督の指導方針と情熱だろう。「そんなに良くないのに、監督からいいよ、すごくいいよって褒めてもらうと、私こんなものじゃないんです、もっと頑張れます!って走っちゃうんです」と高橋は振り返る。時間がもったいないからと、ゴルフも、ギャンブルもしなかった。その指導にかける熱意も、選手たちの心を動かした。酒には目がなく、「俺よー、酔っぱらっちゃったよ」と、ご機嫌に選手たちに語りかける言葉さえも、監督は計算していたのではないかと思っている。(日比野 哲哉)
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時代を切り開く人は、周囲の批判を圧倒していきます。小出監督こそ、まさにそんな人でした。尊敬してやみませんん。
小出監督が体調を崩されて、現場から離れられたのは残念です。とはいえ、80歳という年齢を考えれば、それも仕方ないことかもしれません。ゆっくりと身体を治され、別の形で、いま現在低迷している日本女子長距離界を盛り上げていってもらいたいと願います。
長い間、お疲れさまでした。
ただし嫌煙はマラソン監督の酒は愛嬌でも料理評論家の喫煙には発狂だそうですが(^○^)