当代吉右衛門でも、実父松本幸四郎が生きているのに、初代吉右衛門が死んだら、いじめられたんですねえ。歌舞伎界というのは、なかなか大変なところです。
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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:4 10歳で喪主、継承の闘い始まる
朝日新聞 2017年7月13日05時00分
祖父で養父の初代中村吉右衛門と。「坊よ、と呼んで、かわいがってくれました」(本人提供)
■歌舞伎俳優・中村吉右衛門
《初代中村吉右衛門は1954年9月5日、68歳で亡くなった。東京・築地本願寺の葬儀には約1万人が参列。当時の朝日新聞には「吉右衛門の死はカブキにとって大打撃」「時代狂言はもとより、世話ものに無類の味があった」と哀悼の言葉が並んだ》
入院していた初代は、もう長くはないだろうとわかって退院し、家に戻っていました。亡くなる時は「あっ」という声を出したそうです。
ぼくはまだ10歳。死ということもよくわからない年齢でしたが、「あんた、跡継ぎなんだからしっかりしなくちゃだめよ」と、養母からも実母からも泣きながら言われた。葬儀では喪主として先頭に立ってお辞儀をしましたが、葬送の木やりの声が印象深かったですね。
初代が亡くなると、周りの態度も変わりました。「坊ちゃん、坊ちゃん、若旦那」とおだてられていたのに、「おう、来たね、馬鹿旦那」と言われるようになり、そんな中で、初代の芸を継承するぼくの闘いが始まりました。
いまも上演されている歌舞伎の名作を、初代のように高めていきたい。お客様がどよめくような芸。でも難しくてわからないんじゃ歌舞伎じゃない。初代は、お客様が理解し、感動し、同じ気持ちになるやり方を高めたいと思っていたのでしょう。ぼくも受け継がなくてはと思います。
《実父(初代松本白鸚)からも初代吉右衛門の芸を教わり、歌舞伎を学んだ》
実父はあまり教えない人でした。役の教えを請うと、「舞台を見ていたか」「はい、拝見していました」「じゃあ、もういいだろう」。
自分が将来やりたいと思う役は舞台をよく見てはいましたが、それでもわからないところを聞くと、ここはこうしてチョンでおしまいっていう感じ。「芸は見て盗め」ということでした。手取り足取り教わると単なるコピーになってしまいますが、「芸を盗む」というのはいいところを取り、残りは自分が出せる。個性が出てくるわけですよ。(聞き手 山根由起子)
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芸は見て盗め。
どの世界でも、先輩の技をしっかりと見ることから成長は始まります。それをしないようでは、とても成長はできません。
当代吉右衛門の偉さは、初代や実父・幸四郎(白鷗)の演技をじっくりと観ていたことです。もちろん、その他の諸先輩のそれも観ていたはずで、そういう勉強量の多さが、いまの吉右衛門の財産なのだとおもいます。真似しないといけません。
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