夢と希望と笑いと涙の英語塾

INDECという名の東京高田馬場にある英語塾で繰り広げられる笑いと涙の物語
新入会員募集中!

朝日新聞記者がまとめた「国際連合」という訳語の由来

2013年06月19日 07時27分17秒 | 時事放談: 国内編

ちょっとくだけすぎていただけない文体ですが、朝日の記者が「国際連合」という訳語の由来をまとめているので、記録しておくことにします。

**********

「United Nations」なぜ国際連合と訳す?
朝日新聞 2013年06月19日05時00分

  【春日芳晃・ニューヨーク支局員】四半世紀前のこと。鹿児島県鹿屋市で高校生だった私は、「United Nations」の和訳が「国際連合」だと教わった。ちょっと待てよ。直訳すると「連合した国々」のはず。「international(国際)」なんて単語はない。一瞬疑問に思ったが、まだ純真だった私は教師に言われるがまま覚えてしまった。ニューヨークに赴任して国連を担当するようになり、当時の疑問がムクムクとよみがえってきた。どうして「国際連合」って訳したの?

■当時の国民感情に配慮?

 初めて会った人に「私は新聞記者で、国連を担当しています」と自己紹介すると、返ってくる反応は二つだ。

 A「面白そうですね。国際政治の最前線ですね」

 B「つまらないでしょ。国連は何もできないし」

 Aは社交辞令の面はあるにしても、国連を肯定的に見ている人。Bは国連への期待が薄い人。どうもBの方が多い印象だ。

 国連での日本の存在感が薄いからだろうか。いやいや、そんなことはない。

 2013年の国連通常予算に対する加盟国の分担を見ると、日本は約3億450万ドル(約290億円)で、米国の約6億1850万ドル(約590億円)に次ぐ2位だ。以下、ドイツ、フランス、英国、中国の順で、日本は米国以外の安全保障理事会常任理事国を大きく上回る。分担率は各国の国民総所得(GNI)を基に、インフレ率や累積債務額などを勘案し、支払い能力に応じて算出され、この数字が大きいほど国連での発言力は強くなるそうだ。

 でも、実は都合よくむしり取られているだけではないか。そんな疑念が拭いきれない。70年近く前の枠組みが続いているのも不思議だ。

 中国人ジャーナリストの男性(34)と、こんな議論をしたことがある。日本の国力を考えれば、常任理事国に入って、もっと国際平和に貢献すべきだ。私がそう持論をぶつと、彼は「日本の常任理事国入りはありえない。中国は拒否権を使う」と断言した。

 なぜ中国は反対なのか。そんなに日本が嫌いなのか。彼は「UNは第2次世界大戦の戦勝国がつくった組織。名称も『連合国』だ。戦勝国が常任理事国という構成は絶対に譲れない」と、顔を真っ赤にして力説した。

 日本が「国際連合」と訳した経緯についてますます知りたくなった。

 外務省の外交史料館(東京都港区)を訪ね、黒田瑞大(みずひろ)館長代理(58)に疑問をぶつけると、「記録は残っていない」と言いつつ、展示室を案内してくれた。

 そこにあったのは拡大された「降伏文書」の複製パネル。1945年9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号上で日本の無条件降伏を約束し、当時の重光葵(まもる)外相と梅津美治郎(よしじろう)参謀総長が署名したものだ。

 2人の署名の下には、「米国、中華民国、英国、ソ連、そして日本と戦争中のその他の連合国(United Nations)の利益のため」として、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が署名している。

 「『連合国』という呼称には敗戦国の屈辱がついてまわる。当時の国民心情からすれば、耐えられなかったはず。国民に受け入れられるいい訳はないか知恵を絞り、苦心して考え出したのが『国際連合』だったのでは」と黒田さん。

■名付け親は誰?

 そもそも「国際連合」という言葉が世に出たのはいつか。

 国連の創設案がまとまったのは、44年8月から10月にかけて米ワシントン郊外に米、英、ソ連などの代表が集まったダンバートン・オークス会議だ。日本の外務省は、同12月に編集した条約集に創設案の和訳を掲載した。その中で「United Nations」の訳語を「国際連合」としたのが初出だ。

 では誰が訳したのか?

 元NHK記者で国連に転じ、国連本部主任広報官などを務めた吉田康彦さん(77)によると、元駐英大使の森治樹さん(故人)が「名付け親」だという。

 残念ながら、森さんは回顧録を残していない。森さんを知る複数の外務省OBに電話したが、経緯はわからなかった。

 ちなみに、国連の前身「League of Nations」も直訳の「国家連盟」ではなく「国際連盟」と訳された。外交史料館によると、外務省で訳を検討した際、当時の武者小路公共(きんとも)・欧米課長が思いついたという。こちらも詳しい経緯は不明だ。

 吉田さんは、森さんが国際連盟にならって国際連合にしたと推測する。そして、「中立した組織」という印象をもたらす絶妙な訳として、その後も使われることになったとみる。

■他国は直訳が多数派

 では他の国連加盟国はどう訳しているのか。

 日本と同様、枢軸国として連合国に敗れたドイツとイタリアは、直訳で「連合国」としている。他の多くの加盟国も同様だ。ただ、「United Nations」では文法上複数形となり、単一の組織を意味しないため、フランス語やスペイン語では「機構」を意味する「Organization」を付けて補っている。

 同様に「国際連合」を使っている国を見つけた。お隣の韓国だ。興味深いと思い、ソウルの国立国語院に向かった。一般に使われている韓国語を調査し、公共機関に適切な表現を助言する組織だ。

 同院公共言語支援団長で言語学博士の金世中(キムセジュン)さん(53)によると、韓国の大手紙に「国際連合」が初登場したのは45年12月。由来は不明だが、韓国紙記者や外交官は「日本の敗戦まで韓国は日本に併合されていたのだから、日本の影響とみるのが当然」と口をそろえる。ただ、46年11月から「UN」というローマ字表記も使われ始め、今ではこちらの方が定着している。金さんは「UNの方が短く、発音しやすいので、国際連合は使われなくなる」と予測する。実際、韓国の外務省にあたる外交通商省は07年夏、「国際連合課」を「UN課」に改称した。

 国語院によると、北朝鮮は国連について「ユーエヌ」というローマ字の読みをハングル表記している。ただ、辞書にはユーエヌの参考事項として「国際連合組織」を付記しており、ユーエヌがメーンだが、国際連合組織という言い方もあるとみられるという。

■日本人は「国際」が大好き

 「国際社会で活躍できる国際感覚を持った国際人に」「国際協調して国際貢献を」。「国際」という言葉があふれている。文部科学省によると、昨年度、名称に国際がつく大学は31、学部は82、学科は193。増加傾向は長く続いている。

 そういえば、私も朝日新聞の国際報道部に所属している。要は、日本人は「国際」好きで、「国際」コンプレックスの塊ということか。

 旅の最後、日本人国連職員の草分けで、国連カンボジア暫定統治機構事務総長特別代表や国連事務次長を歴任した明石康さん(82)を訪ねた。明石さんは「日本人は国連に対して過度に期待するか、幻滅して否定論者になるか、両極端。等身大の国連像がなかなか伝わらない」と嘆く。

 国連で垣間見る国際社会は非情だ。それでも、と思う。世界の平和と安全の維持に責任を負い、基本的人権や人間の尊厳を約束する世界機構は国連しかない。「しょせん国際政治の道具」と傍観者を気取るより、組織を作り替えるぐらいの気概を持って積極的に参加した方がいい。2年4カ月の国連取材を振り返った偽らざる実感だ。

<取材余話>

 今回日本で取材した元国連事務次長の明石康さん(82)と元国連本部主任広報官の吉田康彦さん(77)はともに「日本人は国連を理想化するか、軽視するかのどちらか」と指摘した。

 その原因はどうも「国際連合」という意訳にあるんじゃないか。国連担当として国連と日本の関係を日々考えるようになり、そう思うようになった。

 「国際連合」という響きには、政治的バイアスを感じさせず、世界の国々が連携して諸問題を解決していこうよ、という前向きなイメージを感じる。国益と国益が激しくぶつかる国際政治の場としての側面は隠された感じた

 だから、イラク戦争やシリア内戦など、国連で手に負えない問題が起きるたび、日本の世論は落胆し、国連否定論が幅をきかせるようになるのだろう。

 今回、ぜひとも「国際連合」の意訳が誕生した舞台裏を知りたかったが、かなわなかった。あちこち足を運んだが、訳にあたってどんな立場の人たちが、どんな議論をしたかの記録は見つからなかった。

 ただ、この意訳を考えついたのは元駐英大使の森治樹さんとみられ、初出は戦争中の1944年12月に外務省が編集した条約集ということはわかった。森さんはすでに亡くなっており、当時の同僚や部下だった外務省OBの方々に連絡したが、皆さん、経緯はわからない。70年近く前の話だし、仕方ないと思う。

 前国連事務次長の赤阪清隆さん(64)は、外務省に入省したてのころに森さんに出会った。「記憶力抜群で、非常に優秀な先輩だった」と振り返る。ぜひとも回顧録を残してほしかったなあ。残念。

 一方、今回の取材で韓国が日本と同様に「国際連合」を使っていると知り、驚いた。教えてくれたのは、韓国紙・朝鮮日報ニューヨーク特派員の張祥鎮(チャンサンジン)さん(36)。国連記者クラブで出会った友人だ。

 韓国では「国際連合」と「UN」の二つの言い方があり、07年夏に外交通商省はそれまでの「国際連合課」を「UN課」に改称した。07年と言えば、韓国人の潘基文(パンギムン)さん(68)が、東アジア出身で初の国連事務総長に1月に就任。韓国が国連ブームに沸いた年だ。

 きっと潘さんの影響に違いない。そう思って、UN課長の尹盛●(●はさんずいに美、ユンソンミ)さん(41)に尋ねると、組織再編に併せた呼称変更にすぎないと即座に否定された。

 でも、尹さんは個人的印象とことわったうえで、「国際連合は漢字で、日本から借りた言葉というイメージがある。響きも堅くて古くさい。それに比べると、UNはすっきりしていい」。やはり改称には「脱・日本」色の狙いもあったのだろうと思う。

 ソウルでは、青の下地に白抜きで北極を中心とした世界地図をオリーブの葉で囲む国連旗をたびたび目にした。韓国史を語り継ぐ戦争記念館や、中心街のホテルや広場では、韓国旗とペアではためいていた。

 元国連大使で国際連合協会世界連盟会長の朴銖吉(パクスギル)さん(79)は「朝鮮戦争で北朝鮮が侵略してきた時、韓国を救ってくれたのは国連。国連軍の参戦と戦後の援助がなければ、今の韓国はなかった」と振り返る。韓国の恩人というべき国連のトップに潘さんが上り詰めた時、朴さんは感慨ひとしおだったという。日本と違い、韓国では国連はまだまだ特別な存在なのだ。

 ここから先はまったくの余談。韓国滞在中、ソウルの大型書店に寄り、国連関連本が何冊置いてあるか調べてみた。結果は14冊。潘事務総長の関連本も調べてみると、なんと倍以上の38冊! 潘さんの国連での演説をテキストにした英語学習本、潘さんの生き方に学ぶ自己啓発本、子ども向けの伝記。ジャンルも様々でまるでスターだ。

 タイトルにインパクトがあった子ども向け伝記『世界の大統領・潘基文 ~平和と子どもを愛する~』と、自己啓発本『ウォーレン・バフェットのように金持ちになり、潘基文のように成功しよう』の2冊を思わず買ってしまった。

**********

てっきり戦後になって「国際連合」という訳語が作為的に採られたと思ったら、大東亜戦争中に作られた言葉だったんですねえ。どういう意図だったのか、森氏に訊きたいものでした。

ともあれ、United Nationsが存在する以上、戦後体制は終わっていないということ。朝鮮戦争で国連軍に助けられた韓国での国連ブームがよい例です。ひとりの日本人として複雑な気持ちになります。

さらに「国際」という言葉に根拠のない憧れをもつのも、そろそろ日本人は終わりにすべきです。国際的に活躍するというのは、あくまで日本人の場合日本という祖国を代表して他国の人間と対峙するという意味に過ぎず、いまやごく当たり前のことなのですから。

まあ、英語ぐらい自由に使いこなせないとどうしても「国際コンプレックス」になってしまいますから、英語ぐらいしっかりと勉強してください。貧乏英語塾長のひがみでした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「統一球」が何かはわかって... | トップ | スモーカーの夫の妻は、老後... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事放談: 国内編」カテゴリの最新記事