平和塔(海蔵地区祈念碑) 1963年1月 「慰霊」の文字や石碑の意匠が、市内三ツ谷町の多度神社にある慰霊碑(1965年)と共通しています。
裏に「海蔵地区祈念碑」とあります。「昭和三十八年一月 四日市市長平田佐矩 謹書」 石柱の端が不自然に切断されているため、建立当時は長かったものが何らかの理由で折れたため、3本を並べて配置したものと推測されます。三重県遺族会のHPによると、「戦没者204柱戦災死14柱を祀る」とのことです。
日露戦役記念碑 裏に戦死者、従軍者の名前が記されていますが、劣化しており詳細は不明です。三重県遺族会のHPによると、「戦死2柱従軍者61柱を祀る」とのことです。
碑の形状、表の碑銘「日露戦役記念碑 元帥公爵大山巌書」など、市内東日野町の神明神社の日露戦役記念碑(1906・明治39年)と共通しており、同時期に建立されたものと推測されます。
平和之礎 1953年4月 裏に「大東亜戦戦没者」の163名の名前が記されています。
日露戦役紀念碑 1908(明治41)年3月 三重村有志者
裏に日露戦争の「忠死者」10名と「従軍者」83名の名前が記されています。
従軍紀念碑 1896(明治29)年10月 三重村尚武会
裏に、日清戦争に従軍した「外征陸軍軍人」23名と、「内戍陸軍軍人」9名、「病死」1名の名前が記されています。
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